2019年5月29日水曜日

終身雇用は続く、少なくとも私の場合は・・・

城繁幸さんが元気である。それは経団連会長で日立会長の中西氏に続いてトヨタの豊田社長も城氏の持論である終身雇用の終わりを示唆して、さらにそれに続く会社も出てきているからです。

しかし、日本の大手企業に勤める私は終身雇用&年功序列賃金の中にどっぷりと浸っていて、現状の最も確率の高い予測では定年まで終身雇用のまま逃げ切れそうです(現時点の需要予測では、あと10年ぐらいは食いつなげる仕事はありそうです)。この違いは何から生じるのでしょうか?

私はバブル絶頂期にその業界ではトップクラスにカウントされる技術系企業に就職しました。その当時、繁忙を極めた私の業界では、「人間ならだれでもいい」という感じで人をかき集めていて、私もそのようにしてかき集められたうちの一人です。

私の会社はバブルが崩壊した後は人を取らなくなったので、バブル期に大量採用された人たちで構成される会社内における団塊の世代の一員となりました。

意識高い系の私は以前から城繁幸さんのブログはよく読んでいましたし、どうみても社内のいびつな年齢構成を見れば、「自分は50代になれば、肩たたきに遭うし、もしかしたら追い出し部屋に配属させられるかもしれない」と思って生きてきましたが、実際に50代になってみるとそのようにはなりませんでした。なぜでしょうか?

それは人手不足の波の方が先に来てしまったからです。

私の会社では、下手に人材を切ってしまうと、必要な時に人を採用することができなくなってしまったので、今いる人材を活用して生き延びるという方針しかなくなってしまいました。

私が思うに、終身雇用を終わらせたい会社は、収益力が低くて雇用を維持できない「底辺系」と、不要な人材を切っても必要な時に必要な人材をヘッドハンティングできる「トップ系」、人手が必要なときとそうでないときの差が激しい「荒波系」だけで、私の会社のような「細く長く仕事がある系&若者に人気がない系」では、今いる社員に「ずっといてください」というよりほかないように思います。私の会社に「ずっといていい」ということ以外に魅力があるとは思えません。

漏れ聞こえてくるところによれば、私の会社では「10年後にバブル入社組が大量定年するときに備えて、人材が足りなくなることに対してどのように対応するのか」を検討する極秘プロジェクトが発足して、月に一回、本社に関係者が集まってヒソヒソやっているようです。肩たたきを恐れていたのに、気が付けば「いなくなったときに備えて対策を講じる必要のある」貴重な人材になっていました。

出身大学のリクルーターをやっている同僚によると、「10年後に備えて、採用枠を広げようとしても、拡大枠で採用する人のSPIテストの点数はガクンと落ちるので採用基準に達しない。優秀な人だけを採用して、あとは今いる社員を有効活用するという方針にならざるを得ない」と言っておりました。少子化で「若者が減る」ということは、「優秀な若者が減る」ということなので、「地頭的にはイマイチでも経験を積んだ高齢者をどのように有効活用していくのか」が企業戦略上、重要な課題になっています。

ちなみに、「お荷物」と思われているバブル入社組ではありますが、以下のような長所はあると思っています。

①フィルターは通っている
本当に無能な奴は僻地か閑職に飛ばされています。また、普通の社員も仕事を割り当たられるときは、得意不得意を完全に把握されたうえで割り当てられるので、仕事をやらせてみて「ハズレ」になることはほとんどありません。

②効率的である
ずっと前から同じメンバーで仕事をしているので、誰に何を頼めば、いつ頃、どのくらいのクオリティのリターンがあるかを把握しながら仕事をしています。それに、「何年か前にやったあんな感じ」みたいな説明で話が通じます。その代わり、新しいメンバーによってもたらされる新たな発想というものはありません。

③手が動く
昔、私が入社した頃にはまだいた「部下に仕事を命じることはできるけど、自分で手を動かすことはできない人」というのはいません。なぜなら、みんな、今でも「若手(雑用をやらせる人という意味)」扱いだからです。

④問題可決能力が高い
どこの部署にも同年代の社員がいて、困ったときに相談できる人が多くいるので、問題が起こったときの解決能力は意外と高いです。地頭のいい若い社員が「誰に聞いていいか分かりません」と言ってくると、「仕方がねーなー、俺が代わりに聞いてやるよ」と言って優位性を示すことができます。

◆ニッチな専門分野の技術者の処遇
あと、本稿では論じることができませんでしたが、ニッチな分野を専門とする技術者の処遇については、よく考える必要があると思っています。彼らには「その仕事でずっと雇用を続けること」を保証しなければ、怖くてニッチな分野の専門家になろうとは思いません。「一つの技術分野を極めれば、(その技術分野を極めるために習得した知見が他の分野でも役立つので)他の分野でも活躍できるようになる」ということをいう人もいますが、そうならなかった人を私は大勢見てきています。日本が技術大国の一角として居続けることができているのは、「終身雇用を保証しているから」だと思っています。

トヨタ自動車でギアの摩擦を減らすような地味な研究をしている人は、将来、「電気自動車の時代にギアは必要ない」と言われて会社を放り出されることを分かっていても、ギアの摩擦を減らす研究に専念し続けることができるのでしょうか? 社長は「あなたの雇用を保証したくない」と言っていますよ。(自動車は専門ではないので、いい例えになっているかどうかは分かりません・・・)

最後に・・・
先日、職場で新入社員にどのような経験をさせていくかということで議論しました。50代の人たちが「俺の場合はああだった、こうだった」と言いながら、「20代には***を経験させて、30代には※※※させて、・・・」みたいな話で盛り上がったわけですが、誰も「終身雇用の時代じゃないんだから、彼らがずっと会社にいる保証はない」という趣旨の発言をした人は誰もいませんでした。みんな彼らがずっと会社に居続けると信じています・・・。

井上 孝之

プロフィール
私の会社の社風は「ぬるい」で、このまま熱水も冷水も浴びることなくサラリーマン人生をフィニッシュできるかどうかが最大関心事の技術系サラリーマン



消費増税/国民が判断するために必要な情報について報道を望む

消費税の増税についての投稿が低調とのことなので、思うところを記して投稿します。

私の不満のポイントは「消費税が増税されて、レジで支払う金額が増えて大変だ~」という安直なスタンスの報道番組が多いことです。これでは私の知りたい情報は得られません。

単純に「消費税の増税に賛成か?」と問われれば、レジであと2%余分に払いたい人はいないので、全員が反対のはずです。ここで有権者として考えるべきポイントは「レジであと2%余分に払うこと(その結果として起こる景気の停滞も含む)」と「別のところで起こる別の問題」のどちらが痛みが小さいのかという比較の問題であると思っているのですが、そのような観点の報道はほとんどありません。

たぶん、テレビ局が視聴者の知的水準を考えればそのような観点で番組を作っても視聴率は取れないと考えているのかもしれませんが、果たして本当にそうでしょうか? 有権者は自分の将来がかかった問題としてバランスの取れた報道に飢えているように思います(少なくとも私はそう思っています)。それともテレビ局の記者の知的水準が劣化してそのような企画を思いつかないのでしょうか?

さて、私は経済についても財政についても大した知識があるわけではありませんが、「別のところで起こる別の問題」として下記のようなことが思いつきます。

①給料から天引きされる金額が増える
消費税を増やせないので、我々サラリーマンの給料から天引きされる社会保障費がこっそりと増やされています。ちなみに、私は今となっては絶滅危惧種となった年功序列賃金をもらっている人間なのですが、毎年、給料が少しずつ増えても、天引きされる金額が増えて相殺されるので、手取り額はほとんど増えない(というか、むしろ減っている)という状況が続いています。
多分、給与から天引きされない人たちの分の社会保障費もサラリーマンが負担させられているので、サラリーマンにとっては、「消費税を増税して、社会全体で負担させた方が得」だと思われるのですが、サラリーマンからそのような声は出ません(テレビ局の職員もサラリーマンのはずですが・・・)。私のような年功序列賃金でない人たちは、目に見えて手取り額が減っているように思われますが、彼らが声を上げない理由は何なのでしょうか? 彼らは給料から天引きされている社会保障費が増えていることに気付かないのでしょうか? サラリーマンの私にとってはこれぞまさしく「真に恐ろしい敵は有能な敵ではなく、無能な味方」状態です。「気づけよ、サラリーマン! サラリーマンにとっては消費税が増税された方が得なのだ」と叫びたくなります。
サラリーマンは本当に「たとえ、給料から天引きされる社会保障費が増えても、店頭で払う消費税は増やしたくない」と考えているのでしょうか? 「社会保障費を給料の天引きで支払うのか、消費するときに店頭で支払うのか」、あるいは、「社会保障費をサラリーマンに重点的に負担させるのか、社会全体で広く負担するのか」は国民にとって重要な判断事項ですが、その判断に必要な情報を提供しない報道番組はその社会的な役割を果たしていないと考えています。

②財政破綻が起こる
ずっと前から「政府債務が増えれば、財政破綻が起こる」と言われていますが、財政破綻が起こる兆候は全くありません。20年後も30年後も政府債務が増えながらも財政破綻は起こらないまま時間が過ぎていくのではないかとすら思えてしまいます。
ここで、有権者にとっては、「財政破綻にリスクを犯して消費税率を低めに抑えるのか」と「景気低迷のリスクが増えても財政破綻のリスクを小さくするのか」という選択をしなければならないのですが、それを判断するための情報提供はありません。
この議論が深まらないのは、経済学者が政府債務の限界額や財政破綻が起こらない条件を見極められていないことが大きいと思われます。また、財政破綻が起こったときにどのくらいの痛みがあるのかもよく分かりません。議論をするために必要な知見が整理されていないのでは、議論のしようがありません。経済学者はせめて有権者が選挙で判断するために必要な知見の整理ぐらいはすべきと考えますがいかがでしょうか? この「最低限の知見の整理すらない状態」が「消費増税なんかしなくても(あるいは、消費税を減税しても)、問題ない」というような暴論を根拠もなく語るコメンテーターがテレビに出続けている理由だともいます。
現状は「(政府債務を増大させるという)悪いことをしているはずだがなぜか問題は起こらない」という状態ですが、「問題が起こらないのだから悪いことを続けてもいい(あるいは、問題が起こらないのは政府債務を増大させることは悪いことではないからだ)」と考えるのか、「悪いと思われることはできる限りやらない方向で努力する」と考えるのかの日本国民の選択が問われていると考えています。

③軽減税率の仕組みが定着してしまう
10月に消費増税が実施されれば、それに伴って現状の消費増税に組み込まれている軽減税率も実施されて、日本の制度として定着してしまいます。
この軽減税率を「バカを納得させるためには必要な仕組み」と割り切るのか、「問題が大きいから、一度リセットして考え直すべき」を判断する最後のチャンスなのですが、その判断に必要な情報を提供する報道もありません。テレビ局が「軽減税率で利益を受ける新聞社の参加だから」ということもあるかもしれませんが、責任ある報道を求めたいと考えています。

最後に 消費税増税の延期論者への質問
テレビで「消費増税なんかしなくても(あるいは、消費税を減税しても)、問題ない」と言っているコメンテーターは、私の眼には「耳触りのいいことを言っておいて、問題が起こっても責任を取らない無責任な奴ら」にしか映らないのですが、彼らは視聴者に耳触りのいいことを言うので重宝されています。
どなたか、彼らに次の問いを聞いてもらえないでしょうか? これら問いに明確に答えられなければ、彼らはただの詐欺師だと考えています。

  • 現状の日本における最適消費税率とは何%か?
  • どこまで財政赤字を増やしても許容されるのか?
  • 将来、消費税を増やすことに切り替える場合、そのきっかけとなる出来事(あるいは指標)とは何か?
  • その根拠となる経済理論は何か?


井上 孝之

プロフィール
最近、10年以上前の給与明細を見つけて、税金も社会保障費も今より格段に少なかった(その当時は景気浮揚策としていろいろな減税処置があった)ことを気づいて愕然としている技術系サラリーマン



NHKは国有化して税金で運用すべき

池田信夫さんがAmebaTVに出演されているのを見ましたが、想像していたよりもレベルの低い議論で驚きました。

「NHKから国民を守る党」という政党の地方議員が26人も当選したこともあり、これを機会にNHKについて思うところを記します。

池田信夫さんもNHKから国民を守る党も最終的には「NHK放送のスクランブル化」が解決策であると主張されていますが、私は「スクランブルなし、国営放送として税金で運営」を主張したいと考えています。

これによって、NHKの訪問員と「テレビがある/ない」とか「受信料を払う/払わない」という不毛なやり取りをする必要がなくなり、NHKも受信料に関わる裁判から解放されることが最初に連想される効果ですが、それ以外に重要な効果があると考えています。

私が一人の視聴者として思うところは、「すべてのテレビ局が過剰に反体制的であることが国民が政府の政策を理解することを妨げている」ということです。

我々がテレビ報道で政府の政策を聞く場合には、テレビ局の反体制的なフィルターを通して、しかも、政策について理解の浅い記者を通して聞くことになります。さらに、どの政策を報道して、どの政策を報道しないのかを決めているのも、反体制的で理解の薄い記者です。これでは、国民としての当然の権利である「政府の政策を正確に理解する」という権利が侵害されてしまいます。それならいっそ政策を立案した役人本人から直接、時間をかけて説明してもらいたいと考えています。政府がやろうとしていることを、政府から直接、フィルターなしで聞きたいということです。

日本のような成熟した国家で新たな政策を立案しようと思えば、膨大な利害調整が必要でその結果として出来上がった政策も複雑怪奇なものです。それを理解するため重要な選択肢は「立案した本人から聞くこと」だと思っています。政府が新しい政策を実行するときには広報予算をかけて国民に周知するのだから、NHKの運用費用は広報予算と割り切ってもいいかもしれません。

当然のことながら、NHKが権力者側の放送局になることの問題はあると思います。政府にとって都合の悪い情報は報道しないとか、事実を捻じ曲げて報道するということはあり得ると思いますが、その反対側には過剰に反体制的な民放の放送局があるので、体制よりの報道は十分に中和されると思います。なにより、賢い視聴者が政府寄りのバイアスかかっていることを前提に政府の説明を割り引いて聞くので、大きな問題になるとは考えにくいです。それに、たとえ嘘の報道をしようとしても、十分な時間が与えられると、細部にまで嘘を整合させないといけなくなるので、かえって嘘はつきにくくなります。

第二次世界大戦中の「大本営発表」が問題なのは、国民にとっての唯一の情報源が嘘を報道したからであって、現在では多くのテレビ局や報道機関が様々な角度から報道しているので、NHKが権力者側の放送局になっても問題はないと考えています。

また、「テレビを見ないからNHKは必要ない」という論理にも違和感があります。特に災害時のNHKの放送はすべての国民にとって有益です。国内の隅々にまで情報ネットワークを張り巡らし、国民にとって必要な情報を提供するためにはそれなりの準備が必要で営利目的の民放には限界があります。

また、海外に対して日本を正しく理解してもらうための放送も、日本人が見るわけではありませんが日本人にとって有益です。

これまで述べてきたように、NHKの国有化が実現するためには反体制的な民放の存在が必要です。現状では十分な数の民放やインターネット番組があるので、成立条件は満たしていると思います。

井上 孝之

プロフィール
NHKが国有化されたら毎週見ている「コズミック・フロント」と「英雄たちの選択」というマイナーな番組がどうなるかが心配な技術系サラリーマン



老人の自動車運転問題/自動運転の導入に備えよ

老人の運転による池袋の暴走事故について、池田信夫さんはライドシェアに解決策を見出しておられますが、私は自動運転が解決策の本丸だと考えています。

これまで老人が事故を起こすたびに「なぜ自動運転を導入しないのだろう」と思っていたので、今回、少し調べてみました。その結果としては、現段階では少し時期尚早ということですが、そう遠くない将来には実用化のレベルに達することも事実です。

この問題に関する私の基本的なスタンスは、老人には足腰と頭が大丈夫なうちはあちこちに出かけて行って、様々な人と交流して、消費をして残りの人生を楽しんでもらいたいし、それが認知症の予防や健康寿命の延伸にもつながると考えています。従って、老人が積極的に外出できるような環境整備には意味があると考えています。

現時点ではそれをはっきりと示す統計データはないようですが、すでに80歳以上のドライバーよりも自動運転の方が事故率は低いように思われます。後はそれをはっきり示す統計データが出てきたときに、社会全体が「老人に運転させるよりも自動運転の方が事故率は低いので、運転は自動運転に任せよう」と考えるのか、「そんな訳の分からないものに運転を任せることは怖くてできない」と考えるのかが問題です。

マスコミの立場に立てば、自動運転車が最初の事故を起こしたときに、センセーショナルな報道をして、不安を煽った方が視聴率を取ったり、紙媒体の売り上げにつながると思いますが、それを許すと、自動運転の実用化がさらに遅くなって、老人の事故が起こり続けてしまいます。

そのような事態にならないためには、「長期的には自動運転の方が事故率を下げることができる」、「1件の事故ではなく、統計が示す事故率の低さによって導入するかどうかを判断すべき」という認識を社会全体に広めておくことが必要だと考えています。

今回の事故を起こした老人は十分な資産があり、新しい技術にも興味のある人のようなので、自動運転車が販売されていれば、購入して今回のような事故は回避されていたかもしれません。

行きたいところにはいつでも行けるというクオリティ・オブ・ライフを下げずに、今回のような事故を防ぐためには、技術の進歩を適切に社会に取り入れていくことが必要です。自動運転という新しい技術を「いつ、どのように導入するか」という問題は社会全体で考えるべき課題であると考えています。

井上 孝之

プロフィール
50歳を過ぎて、自分の運転が怖いと思うことが増えた技術系サラリーマン


ピエール瀧さん釈放を受けて/問題を起こした芸能人をどのように罰すべきか?

ピエール瀧さんが釈放されました。彼の事件については、様々な人が意見を発せられていますが、これまでの議論で欠けていると思われる論点について考えてみたいと思います。

①犯罪の原因は心の弱さか、性悪か
犯罪の原因をこの2つに大別できるかどうかは分からないのですが、制裁の強さによって犯罪を防止できるのは、当事者が合理的に「犯罪をしない方が得」という判断ができるている場合に限られると思われます。
一方で、心の弱さ、つまり、「悪いと分かっているけどやめられない」であれば、後でどんな強い制裁があると分かっていても犯罪に手を出してしまうので、制裁の強さは犯罪の防止には限度があると思います。心の弱さが犯罪の原因なら必要なものは周囲のサポートです。心の弱い人を叩いても心は強くはならないので、再発防止には効果がありません。特に薬物に手を出すような犯罪の再発防止には周囲のサポートが有効のように思われます。合理的に考えて、その通りに行動できる人であれば薬物には手を出さないので、ピエール瀧さんはやはり「弱い人」であると思われます。彼には周囲のサポートを得て、立ち直っていただきたいと思います。
犯罪者に対する制裁は裁判所が懲役刑を科すことが第一となりますが、さらに社会的制裁を科すかどうかは上記のような観点で考える必要があると思います。

②収入の道を絶ってしまうことは妥当か
犯罪者を制裁するために収入の道を断ってしまうことは妥当でしょうか? 一般の人も犯罪を犯すと会社を首になって仕事を失うので、芸能人であっても同じように収入の道を閉ざしてしまうべきだという主張には一定の合理性があります。
だた、ピエール瀧さんの場合のように周辺でと二次被害を受けて損失を被る人が膨大になる場合には、収入の道を残して、賠償金の原資にできるようにすることにも意味があると思います。ピエール瀧さんが資産家で膨大な賠償金を支払うだけの資産があるのであれば、収入の道の閉ざしても問題はないかもしれませんが、現実には賠償金を支払うだけの資産がないと思われるので、収入の道を残しておくことは、二次被害を受けた人への救済にとって重要な意味があります。
彼の仕事の特性から、本人が刑務所に入っていても過去の作品が販売されたり、ネットで配信されれば、本人には収入が生じます。この収入の道を閉ざすことなく、二次被害を受けた人に還元できるようにしておくことは重要であると思われます。また、刑期を終えてからのコンサートツアーや新譜の発売についても、罪を償った後でもあり、聞きたくない人は聞かなければいいだけなのでこれも許容されるべきだと思います。

③一つの正義を貫徹させるために関係のない人を犠牲にしていいのか?
テレビのワイドショーを見ていて疑問に思うのは、誰も二次被害に遭う人の立場で話さないことです。これまで心血を注いで作ってきたものが世に出せなくなるということは単にお金の問題だけではないはずであり、賠償金を受け取ったとしても、賠償が済んだことにはならないと思います。特に芸能系の仕事をしている人は「今日の仕事の出来・不出来が次の仕事につながる」ということがあるので、作品が公開されないと、その作品に関わった人が飛躍の機会を失ったり、次の仕事が得られなくなる可能性もあります。
犯罪者は刑法で罰せられる以外に社会的制裁を科されることは理解できますが、「犯罪者に社会的制裁を科すためには、犯罪に関与していない人に損害を与えても構わない」という考えには私は全く同意できませんが、アゴラ読者の皆さんはいかがでしょうか? ワイドショーを見ていると、まるで「ドブに落ちた犬を叩くのは面白いし、たとえその結果として関係のない人に損害が生じても自分に関係ないから、みんなで叩こう。そうすれば視聴率も取れる」という感じになっていると思っています。

④芸能人は復帰に対して甘いのか?
芸能人で犯罪を犯しても芸能界に復帰できる人がいます。そのような人がいると「芸能界は犯罪者に足して甘い」というようなことを言いますが本当でしょうか? 私は芸能人でも「替えのきく人」は復帰できないと思われます。芸能界に復帰できる人は結局は唯一無二の能力を持っている人か、ずば抜けた何かを持っている人のように思われます。その人を出演させることによって失う視聴者と得られる視聴者を比較して、得られる視聴者の数が相当に多ければ出演させる価値があります。この点は芸能人以外でも同じで、その人にしかできない仕事があって、その仕事にニーズがあるのであれば、その人は前科持ちであっても必要とされます。

最後に
この問題は、結局は人をどのように裁いて、社会復帰のチャンスをどのように与えるのかという深い問題に行き着くので、簡単に答えが出るとは思いませんが、「犯罪者に制裁を加えるためには、あらゆる手段を総動員すべき」という妙な完璧主義がはびこっているようにも思われます。ピエール瀧さんに対して、適切な処罰と社会復帰へのサポートが行われることを望みます。

井上 孝之

プロフィール
これを機に電気グルーブを聞いてみようと思ったら、音楽配信サービスから完全に除外されていることを知ってショックを受けている技術系サラリーマン


平成時代/日本人は軋轢よりも低成長を選択した

私は平成4年に大学院を卒業して社会人になって、現在50代なので、平成の大部分を社会人として過ごしたことになります。私が勤める業界は景気の波が遅れてやってくるので、入社して最初のボーナスがバブルのピークのボーナス額となり、その後、長い停滞期に入りました。従って、「ボーナス最高額は入社して最初のボーナス」という時期が長く続き、そのボーナス額を抜いたのは、40台半ばになってからでした。

平成は経済的には低成長の時代だったので、経済的な観点でものを考える人にとっては「ダメな時代」という評価になってしまうのかもしれませんが、私は「日本人は結果的に正しい選択をしたのではないか」と結構、評価しています。

私は、平成期の日本人は「経済成長よりも軋轢のない社会」を選択し、また、「経済成長よりも安全・便利・快適・清潔な社会」を選択したというように理解しています。

例えば、農業や公共工事しか産業のない地方の市区町村、競争力のない産業では、突然死ではなく、ゆっくりとゆっくりと衰退死させることを選択しました。そのおかげで、それらの分野・地域では大きな軋轢もなく、つまり大きな苦痛のない衰退に向かっていて、それらの分野・地域にいた人はゆっくりと別の分野・地域に移っています。日本人はこの「膨大に時間のかかる改革」をやりきろうとしていると言うこともできます。

このような分野・地域ではさっさと撤退させて、成長が期待できる分野・地域に人や投資を集中させた方が経済成長には有利だったことは明らかですが、平成の日本人はそのような選択はしませんでした。そのような選択をしたときに生じる一時的な軋轢を嫌ったためだと思われます。

都市に住む日本人もこれらの分野・地域に自分たちが支払った税金が使われることも、輸入品よりも割高な商品を交わされることも許容してきました。ようやく最近になって、低成長分野・地域が抵抗の声を上げる元気もなくなってきて、都市や成長が期待できる分野に資源を振り分けることに重点が置かれるようになってきたと感じています。

その他にも、平成期の日本人が守ったものに終身雇用制度があります。城繁幸さんがいろいろ提言されましたが、結局、変わりませんでした。これも、日本人がリストラによって一時的に苦痛を感じることを避けた結果だと思っています。

また、日本人が拒絶したものに首都移転があります。堺屋太一さん、司馬遼太郎さん、八幡和郎さんのような主に関西系の文化人が提唱しましたが、結局、拒絶されました。これも首都移転とそれに伴う行政改革の軋轢を日本人が嫌ったせいだと思っています。その結果として、地震や富士山の噴火のような災害リスクの高い地域に過剰に人口が集中することになりました。

日本人が軋轢を嫌った結果として、反原発、沖縄基地問題、護憲のようなヒステリックな活動をする人たちに対しては、必要以上の譲歩を行って、その結果として譲歩を勝ち取った活動家たちは調子に乗ってさらに譲歩を要求するというような悪循環も生みました。このような人たちはもともと無理筋の要求をしているので、「折を見てガツンと一発」という対応もあり得たと思うのですが、平成の日本人にはそのような対応はできませんでした。

韓国との関係も、この延長で「過剰に譲歩して、相手をつけあがらせた結果」であると考えています。

また、経済成長よりも軋轢回避を優先したことによって、雇用の拡大が小さくなり、その結果として就職氷河期のような特定の世代に軋轢を集中させることになりました。このことは、「すでに社会のなかで発言力のある世代の軋轢を回避する」ために、「まだ発言力がない世代に軋轢を押し付ける」ことになった結果です。ただし、就職氷河期世代も「多少の軋轢があっても、経済成長を優先して、雇用の拡大を図れ」とは主張しなかったので、同罪ではないかと考えています。

一方で、平成の日本人の情熱は「安全・便利・快適・清潔」に向かい、その結果、世界に例を見ない「安全・便利・快適・清潔」な社会を作り出すことに成功しました。しかも、その恩恵はかなり広い階層に及んでいて、所得が比較的少ない人でも贅沢さえしなければ、「安全・便利・快適・清潔」な生活を送ることができます。

特に、「安全」を脅かす行為には、周りから徹底的に糾弾されて、過剰な安全対策を求められます。その結果、過剰スペック&高価格(あるいは、供給者側の低賃金&長時間労働)な商品を買わされることになったわけですが、平成の日本人は文句を言いませんでした。

日本人が経済成長に情熱を向けなくなった理由に、「安全・便利・快適・清潔」のコストが安いからではないかと考えています。海外では「安全・便利・快適・清潔」にコストがかかるので、それを手に入れようと思えば、相応に稼ぐ必要がありますが、日本では安いコストで実現しているので、「安全・便利・快適・清潔」は労働の情熱の源泉にはなりません。

私の想像では、日本で最も快適に生活できるのは、日本の大企業で出世コースに乗ったぐらいの給料をもらって生活することだと思います。日本の大企業で出世コースに乗った人は、リスクを取って高い収入の仕事に転職するよりも、大企業内でそこそこの仕事をして、定年までちょっと高めの給料をもらい続ける選択をした方が、転職のリスク、仕事のきつさ、収入のレベルのバランスの観点でちょうどいいのだと思います。

ちなみに、「大企業で出世コースに乗った人」というには、「社会的な発言力がある人」でもあり、その人たちが「今の生活スタイルを維持したい」と思っていることになるので、「平成期最大の改革の反対勢力」でもあったと思います。

また、大金持ちのセレブなライフスタイルがうまく形成できなかったことも経済成長に情熱を向けなくなった理由の一つだと思います(私が知らないだけかもしれませんが・・・)。給与水準が上がったからといって、プール付きの家に住みたいとも思わないし、別荘を持っても管理が大変そうだし、寄付文化も根付かないし、過剰に稼いだお金の使い道という観点で労働の意欲につながる使い道がありません。成金の人が派手な生活をしている姿を見ても、「大変そう」と思ってしまって、「自分もそういうライフスタイルをやってみたい」とは思いません。

そのような環境なので、一定以上の収入の道を確保した人は「さらに収入を増やそう」と考えるよりも、「今の収入のレベルを維持しよう」に発想が変わってしまって、稼ぐことへの情熱が急速に失われてしまいます。多分、自分自身の収入を増やすよりも社会全体を「安全・便利・快適・清潔」にしてしまった方が気持ちよく生活できるということに平成の日本人は気が付いたのではないのでしょうか? この「気づき」こそが平成の日本人が経済成長を犠牲にして獲得した最大の成果だと私は思うのですが、アゴラ読者の皆様はいかがお考えでしょうか?

以上が、平成の初めに大企業に就職して、出世コースから外れてしまった人間が周囲を見渡して考察した結果です。

井上 孝之

プロフィール
大企業の窓際はそこそこ快適であることを発見した技術系サラリーマン


沖縄問題/本土の人間(の一人)はこう思う!

沖縄では住民投票が行われて盛り上がっているようですが、本土ではさほど盛り上がっていません。本土の人間(少なくとも私)は冷めた目で見てます。その理由を私なりに考えると以下のようになります。

1.迷惑施設を受け入れているのは沖縄だけではない
沖縄の人たちは「自分たちだけが米軍基地を受け入れている」と思っているかもしれませんが、本土の人たちは「迷惑施設を受け入れているのは沖縄県だけではない」と考えます。
迷惑施設の代表格として原子力発電所があります。原子力発電所の場合はひとたび事故が起これば、一つの県が丸ごと住めなくなるなるほどのインパクトがあり、放射性物質の拡散状況次第では数百人や数千人レベルの死者が出ることもあり得ます。たとえ事故のレベルが小さいさくても、その県で生産された農作物は風評被害で売れなくなり、その県に住む人には発がん率が上がる、奇形児が生まれる可能性が高まる等の心無い偏見にさらされます。
これに対して、沖縄県で米軍機が人口密集地に墜落しても原発事故ほどのインパクトはないと思われます。それなのに、沖縄県が原子力発電所を受け入れている県よりも補助金等で優遇されることは妥当なことでしょうか?
迷惑施設を受け入れている県が連携して建設的な提言を行えば、意味があるように思われますが、沖縄県はそのようなことはしません。私は「沖縄県は多くの米軍施設を受け入れている『唯一の』県である」というブランドを保持したいため考えていますが、それは邪推でしょうか?

2.民主主義を破壊しているのは沖縄県民
住民投票の結果は日本政府とアメリカ政府に通知されるだけで、それを実行するための具体的な計画もありません。政府は今回の住民投票の結果を無視するつもりなので、実質的には何も起こらずに混乱だけが残ります。つまり、「沖縄の民意は実行されなくても問題は起こらない」という事実だけが残り、今後は沖縄県民がどのような民意を示しても無視されるだけです。結局、今回の住民投票は「民意は無視されても問題ない」という実例を沖縄県民が税金を使って作ったことになります。

3.十分な金を受け取っている
沖縄県は米軍基地を受け入れることの対価としての補助金を受けています。当然のことながら「迷惑を受けていることの適切な対価」としては問題ありませんが、「正当な対価」を超えて過剰に受けとれば、それは社会正義に反します。沖縄県民がたくさん補助金を受ければ、その分だけ本土の弱者が受け取るお金やサービスが減ります。
国の予算は、出せる金額の大体の総額は決まっていて、その配分を決めていくことになるので、あるところに多く出せば他のところに出せる金額は減らさざるを得なくなります。最近、問題になっている幼児虐待のように「十分に予算が付けば対策が講じられる」問題は多くありますが、沖縄県への補助金を多く出せば、それらの問題への対策費用は結果的に減ってしまうことになります。そのようにして捻出された沖縄県の補助金は受けている迷惑に対して妥当な金額でしょうか? できれば沖縄県民自身で検証してもらいたいと考えています。

4.沖縄県民は本当に困っているのか?
沖縄に旅行すれば、基地の近く以外はただののどかな田舎であることが分かります。基地周辺が騒音や米兵の犯罪等で困っているのは理解できますが、沖縄県全体としてどのくらいの実害を受けているのでしょうか? このようなことは本土の人間が沖縄に旅行のときに受ける印象なので、沖縄の皆さんからの納得できる説明を期待します。

5.安全保障政策についてどのように考えているのか?
日本の安全保障政策の根幹の部分に異を唱えているのだから、それに対する対案を示すべきですが、全く提案がありません。本土の人間は沖縄県には何の対案がないことを知っています。
今のところ日本は「平和」と言える状況です。その理由の一つに安全保障政策がうまく機能していることが挙げられますし、その安全保障政策のなかには沖縄に駐留している米軍も含まれています。平和はあたり前のように存在していますが、それは目に見えないところで多くの人の努力によって実現しています。目に見えていないところで多くの人が努力しているのは無視して、表面的な問題にだけについて騒ぐのはただのバカです。そんな人たちの思いを真剣に受け止める必要があるのでしょうか?

6.反米は許せるが親中は許せない
米兵の犯罪や軍用機からの落下物で不安を感じているのは事実なので、アメリカに対して悪い印象を持つことはやむを得ないこと思います。また、騒ぐことで犯罪や事故の抑止効果があることも事実です。
しかし、勢い余って、反米運動が中国を利するレベルになれば話は別です。そもそも米軍基地が沖縄に配置される理由は中国の脅威に対抗するためのものでもあります。その効果を低減するような活動をしてしまえば、米軍はその効果を維持するためにさらに軍隊の規模を大きくする必要があるので、沖縄の人たちにもデメリットが大きいように思われます。
それに、中国の方がサンゴの埋め立てを含む環境破壊や人権蹂躙についても大規模に行っているので、アメリカに対して批判していることをもっと大規模に行っている中国の利益になるような活動をすれば、単に何も考えずに反対運動をやりたいだけの人たちと思われても仕方がないと思います。

最後に
全体的に沖縄の方々にきつい書き方になってしまったところはあったと思いますが、私としては本土の人間と分かり合うための論点を整理したつもりでいます。沖縄の方々の反論を期待しています。何らかの主張をする場合には、その主張を正当性を訴えるだけでなく、主張が通ったときにどのようなことが起こるのかについての分析も示す必要があると思います。沖縄県の皆さんは米軍基地の移設予定地の埋め立てについて反対の主張をされましたが、その主張が通ったときには、日本は良くなるのでしょうか? 沖縄県の皆さんの分析を分析を教えていただきたいと考えています。あと、この文章を書きながら思ったのですが、「本土の冷めた目」を変えていくためには、「激しい運動」よりも「論理的な説明」の方が効果的のように思われます。
米軍基地に限らず、自衛隊の基地、原子力関連施設、空港・鉄道・高速道路の騒音系施設、ごみ処理場、有害物質を扱う工場、刑務所、これに最近では児童相談所も含まれる迷惑施設を周辺の住民が受け入れてくれているから社会が成り立っているので、沖縄の方々にはそれを理解しないで騒ぐだけの人にはなってもらいたくないと考えています。
私が考える「よい社会」とは、迷惑施設の建設は避けることができないので、社会全体で迷惑のレベルを最小化する努力をすることと、迷惑を受ける人が迷惑のレベルに応じた適切な補償を受けることです。沖縄の問題ではこれは実現されているのでしょうか?

井上 孝之

プロフィール
沖縄に2回旅行に行ったことのある本土在住の技術系サラリーマン


2019年5月28日火曜日

皇室問題/眞子様ってどんな人?

私はもともと皇室には何の興味もなかったのですが、小室氏と眞子様の問題はいろんな問題を含んでいるので興味を持ってウォッチしていました。この問題はざっと思いつくだけでも、下記のような論点があります。


  • 皇族の女性と結婚する人はどのような人が望ましいか?(あるいは、どの範囲まで許容されるか? 裕福でない家庭に生まれて、親が金銭トラブルを抱えているような男性は許容範囲内か?)
  • 「結婚したい」と言っているカップルを周りが難癖をつけて引き離すことは妥当か?
  • 母親の元婚約者から多額の資金提供を受けたことによって、大学に行くことができ、現在の地位を築くことができたのに、「あの金は譲渡されたものなので、返す必要はない」と開き直った態度をとったことは、恩義のある人にとるべき態度としてどうか?
  • まだ正式な婚約者でもないのに、国民の税金を使って警備する必要はあるのか? 少なくとも小室氏側にも国民の負担を最小化する努力をする必要があるはずなのに、「タクシー代が出せない」という理由で堂々と国民の負担で警備を受ける態度は皇室女性の結婚相手としてどうか? 
  • 皇族の女性の婚約者になるべき人物(まだ正式に「婚約者」になったわけではない)という立場を利用して、多額の借金をしたり、アメリカの有名大学に入学したり、奨学金を受けたりすることは妥当か?
  • 問題は何も解決していないのに、あたかも解決したような声明を発表するのはどのような神経なのか?
  • そのような人物が将来の天皇の義理の兄になることをどう考えるか?

1.小室圭ってどんな人
当初は「好青年だが、育った家庭が裕福でなかったことも起因して、母親の交友関係で少し問題がある」程度の認識だったのですが、報道が進むにつれて認識が変わってきました。私は直接、会ったことはないので報道から推測するしかないのですが、「筋金入りの人格欠落者」というのが私の結論です。
多分、この後、小室氏は性格や考え方を変えるつもりもないので、死ぬまで今の彼のままだと思われます。また、小室氏は自分から眞子様に別れを切り出すこともないと思われます。彼の立場で考えれば、眞子様は「嵐が過ぎ去るのを待てば、1億5千万円を担いで自分のところにやってくる女性」です。自分からその金の卵を産む鶏を捨て去ることはしないと思われます。
また、小室氏は眞子様の持参金以外のメリットにも気がついたに違いありません。多額の留学費用を貸付けてくれる人が現れたり、アメリカの名門大学に入学許可が下りたり、奨学金が得られたり、皇族女性の婚約者(になる人)というだけで様々な特典が向こうの方からやってきます。多分、これからも様々な特典が向こうからやってくると見込んでいるのではないでしょうか? こんなおいしい立場を彼が自分から放棄するでしょうか?

2.眞子様ってどんな人
皇族の方の人柄や考え方について、下々の国民があれこれ言うのは「不敬」という言葉に当たるのかもしれませんが、国家の中核制度に関わる問題なので、少し踏み込んで検討したいと思います。

(1)人となりについて
ここで問題となるのは、その小室圭という人物を好きになった眞子様ってどんな人なのかということです。結局のところ、小室氏から別れを切り出さないのであれば、眞子様から切り出してもらうしかありません。眞子様が「小室氏とは結婚しない」と言わない限り、この問題は続くので、眞子様から別れを切り出す可能性があるのかないのか、あるいは、その判断が近いのか遠いのかに関する情報は国民としても知る権利があると思います。この点について掘り下げた報道がないことが気になっています。

現状については、下記の3つの可能性があると考えられます。

眞子様は小室氏と同じ価値観を持っているので、小室氏の態度や行動をおかしいとは思っていない。
事態が混乱していて、何が問題なのかという部分を十分に理解されるのに時間がかかっている。
世間一般と同じような価値観を持たれているが、「好きになってしまった男性に問題がある」という事実を受け入れるのに時間がかかっている。

国民としては、②か③であり、最終的には眞子様が自分から別れを切り出してくれると信じたいのですが、もし①だったら、そのような考えをお持ちの眞子様に対して、我々はどのような態度を取るべきか国民として考える必要があると考えるので、マスコミはその判断材料を慎重に取材して国民に提示すべきと考えます。

(2)受けられた教育について
眞子様がどのような教育を受けられたのかは全く知りませんが、「一般人と結婚した時点で皇籍を失う」こと自体は生まれたときから決まっているので、それを前提にした教育を受けられているはずです。基本的には、経済的な心配がない良家の男性と結婚されることを想定されていたとは思われますが、良家に嫁げば気ままに生きられるというわけではないことは普通に考えれば分かることなので、嫁ぎ先でもしたたかに生きるノウハウを学ばれたのではないかと想像します。
特に重要な点は「付き合うべき人物」と「遠ざけるべき人物」を見分ける技術だと考えますが、このあたりはどのように教育を受けられたのでしょうか? 悪い人間が天皇陛下や皇太子様に近づこうとしても何重ものバリアがあって簡単に近づくことはできないのですが、一般人になってしまうと、自分で「遠ざけるべき人物」を見極める必要があります。現実には夫の仕事上の関係者や夫の親類とは付き合わざるを得ないので、表面的には付き合っても、たちの悪い申し入れをしてきたときには、適当にあしらう必要があります。
すべての人物について「付き合うべき人物」と「遠ざけるべき人物」を正確に判断することはできないので、「第一印象はよかったので、付き合ってみたけど、悪い人だと気が付いたので、付き合いをやめる」ということは誰でもやっていることなので、眞子様もなさっていることではないかと思うのですが、実際のところ、どうなのでしょうか?
このような観点では、小室氏は真っ先に、あるいは、気が付いたらすぐに「遠ざけるべき人物」のように思われますが、眞子様はどのような判断をされたのでしょうか?

井上孝之

プロフィール
両親が共産党支持者であったため、成人するまで皇室廃止論者だった50過ぎのおっさん。


沖縄問題/社会運動がエスカレートした場合の対処法

私は本土に住む技術系サラリーマンでこの問題に特段の知見があるわけではありません。
私がこの原稿を書いたのは、高い見識をお持ちのアゴラ執筆陣にこのような観点で論考を深めてほしいと考えたためです。

私が興味を持っているのは「社会運動がエスカレートした場合の対処法」という観点です。
つまるところ、沖縄の問題も原子力や韓国の問題も社会運動がエスカレートしてしまった結果なので、それに対してどのような対処法があるのかの知見を社会全体で共有しておくことには価値があるように思われます。

1.社会運動がエスカレートする要因
まず社会運動がエスカレートする要因を考えてみたいと考えます。私は下記の要因が絡まり合っていると考えています。

①後には引けない運動家
運動家は汚い言葉で対立陣営を罵倒して、その度に支持者が集まり、「もっとやれ!」とけしかけます。運動を続けている限りは英雄として扱われるので、運動家の虚栄心も満たされます。今更、「もうやめたい」とか、「相手の言い分にも一理ある」とかは口が裂けても言えません。もう運動が終焉するまで突き進むしかないのです。

②金儲けできる人たち
沖縄の問題で言えば、運動が先鋭化すればするほど、国からの補助金が増えます。
また、マスコミ関連も新聞の発行部数が増えたり、視聴率が上がったりします。マスコミに関しては、沖縄の新聞社だけでなく、本土の新聞社もテレビ局も事態が混乱するほど恩恵を受けるので、より自体が複雑化するような方向の論調で記事が書かれます。
それ以外にも、反対運動関連グッズの売り上げが増えたり、本土から大挙して活動家がやってくれば、その人たちを宿泊させる民宿系(?)の人たちも儲かるかもしれません。

③解決しない問題
問題が解決しない限り社会運動は続き、運動の中身はエスカレートしていきます。
沖縄の人たちからすれば、米軍基地は無いに越したことはないし、一方で、日米安保から沖縄の米軍基地は必須です。問題があって、解決されない限りはこの問題が続くことになります。

2.社会運動がエスカレートを阻止する方法
何の知見もない私ですが、とりあえず上記の①~③に対応して解決策を考えてみます。

①活動家対策
(1)拳を下ろす口実を与える
何らかの条件や解決策を提示して、「この条件なら拳を下しても、やむ負えない(あるいは、運動家の面子が立つ)」という環境を整えます。この場合、「**さんがこれまで頑張ってきたからこの条件を引き出せた」という活動家の虚栄心をくすぶれればさらにいいと思われます。この方法が最も理想的なように思われますが、当然のことながら簡単に拳を下す口実を与えることは簡単ではありません。
(2)論理矛盾を突く
活動家は「自分は正しい、相手は間違っている」と主張しているのだから、その主張が間違っているという認識が広がれば、活動家の主張は説得力を持たなくなります。
沖縄の件で言えば、活動家は他の埋め立て計画は認めているのだから、「サンゴを守れ!」という主張は成り立ちません。
また、「沖縄は米軍基地の大部分を引き受けている」という言い方は事実ですが、「迷惑施設を引き受けている」という意味では、原子力関連施設を受け入れている福井県、新潟県、青森県と同じですし、空港や鉄道・高速道路の近くで騒音に悩んでいる人たちもいます。なぜ、沖縄だけが破格の補助金を受ける権利があるのかという点はアピールすべきであるように思われます。
このような論理矛盾は活動家本人よりも周りにいる支持者にアピールして、社会運動からの離脱を促して、「気が付けば、論理矛盾に気が付かないバカしか周りにいない」状態に追い込むことが重要であるように思われます。
(3)スキャンダルによる信用を失わせる
都知事選の鳥越俊太郎氏のように、「私は正しい」と言っている人はスキャンダルがあれば、すぐに信用を失います。活動家も所詮はただの人なので、調べればいろいろ出てくるはずです。

②金儲けしている人のビジネスモデルを崩壊させる
(1)補助金を絶つ
沖縄県の場合は、辺野古移設を前提とした補助金を受けているのに、辺野古移設に反対しているので、「辺野古移設に反対するなら、補助金の受け取りを拒否すべきだし、これまで受け取った分も返納すべき」という主張は成り立つはずです。このような主張を強めれば、お金を目当てに活動している人を黙らせることはできると思われます。
(2)正確でバランスの取れた情報発信を行う
新聞を読んだり、ニュースを見たりする人の多くは「正確でバランスの取れた情報を得たい」と考えていると思われます。確かに自分の主張と異なることを報じている新聞やニュースを遠ざける人は多いと思われますが、一定以上の知性がある人であれば、新聞やニュースで報じられている内容と現実に起こっていることに齟齬や矛盾があれば、その原因を調べたり、「本当の事実は何か」と考えて、正確な情報が載っているサイトを探すはずです。そのときに、「このサイトの情報がもっと正しく、信頼できる」という評価を得られれば、オピニオンリーダー的な人はそのサイトを見るようになるし、結果として既存メディアの情報の信頼性が低いことも世の中に知らしめることになって、既存メディアの収益性も低下させることになるので、大手マスコミが取っている「世の中を混乱させて収益を得る」というビジネスモデルにひびを入れることはできると考えています。

③問題を解決する/問題の設定を変える
問題を解決できればそもそも問題になっていないので、簡単に「問題を解決すればいい」ということはできませんが、「問題の設定を変える」ということは可能かもしれません。
沖縄の場合は、「中国の脅威にどのように対処するか」という問題を考えれば、「米軍が沖縄に駐留していることこそ解決策」でもあります。現実の問題は多面的であるので、一つの問題であっても多面的に考えるというアプローチだけでも意味があるように思われます。

以上が何の知見もない技術系サラリーマンの意見ですが、「社会運動がエスカレートした場合の対処法」という設問は社会学あたりでさんざん議論されているようにも思われます。そのあたりに知見のある人はぜひその知見を紹介していただければ建設的な議論が可能になると期待しています。

あなたの周りにいるありふれた名前の井上孝之

プロフィール
沖縄に何度か旅行に行ったことのある本土在住の技術系サラリーマン


「国葬」は「反対運動マニア」の祭典となる

私は「反対運動マニア」というカテゴリーに分類すべき人たちが世の中に一定数いて、政策の実行に当たってはその行動パターンを把握して対策を講じる必要があると考えていますが、そのような観点で論じている人は見当たりません。 確かに、「これは『反対運動マニア』対策のためにやってます」と...