2019年9月21日土曜日

「風評被害は絶対に起こしてならない」という認識を社会で共有できない理由は何か?

小泉環境相が就任早々の福島第一原発事故に関連したスタンドプレーにより、福島県沖で取れた魚の「風評被害」がクローズアップされましたので、思うところを記したいと思います。

福島第一原発周辺ではトリチウムを自然界よりも多めに含んだ水(処理水)が大量に備蓄されていて、近い将来、満杯になると予想されています。

結局、海に流す以外の解決策はないのですが、この解決策については、福島県の漁協が「風評によって捕れた魚の商品価値が下がる」として反対しています。

処理水が海に放出されてると、マスコミがあたかも人体に有害な物質が海に放出されると騒いで、これによって消費者は福島県沖で取れた魚を買わなくなるという風評被害が起こるので、福島県の漁協の立場に立てば、処理水の放水放出に反対してできる限り遅くさせることは合理的です。

風評被害というのは、売り手にとっては品質に問題がない商品であっても消費者に買ってもらうことができなくなり、消費者にとっては品質に問題がない商品であっても誤った情報を得ているのでその商品を選択することができず、購入する商品の選択肢が減ります。社会全体の影響でみれば、経済活動が停滞し、税収も減ります。

しかも不安を煽って誤った情報をまき散らしたマスコミが儲けるという社会にとって最悪の結果となるので、「風評被害」は絶対に防がなければならない問題であり、誤った情報をまき散らす連中には断固とした態度をとる必要があると思っているのですが、そのような意見はほとんど聞かれません。

小泉進次郎氏も風評と戦うのではなく、風評被害が起こることを前提に「風評の被害者と寄り添う」とか言っています。

前述の通り、「風評被害というのは、生産者にとっても、消費者にとって、社会全体にとっても、損害を被ることとなり、風評をばらまいたマスコミが儲けるという最悪の事態」となる訳ですが、ここで疑問となるのは、「風評被害は絶対に起こしてはならない」という認識を社会で共有できないのはなぜかということです。

マスコミに業界とは全く無縁な私なりに考えた結論は以下の通りですが、いかがでしょうか?

1.風評はマスコミにとっては都合がいいから
マスコミにとっては、「風評」とは言わないまでも、視聴者や読者の不安を煽って視聴率や販売量を稼ぐのは常套手段です。不安を煽って収益を上げることをビジネスモデルにしているマスコミにとっては、「福島第一原発の処理水が人体にとって有害である」と一般に認識されていることは、「都合がいいこと」であり、誤った認識を修正するような報道を行ったりはしません。
また、誤った認識を修正するような動きには無視することで対応します。この点については、マスコミ業界で一致団結して無視しているので、自分自身で処理水の有害性について調べるような物好き以外の人は漠然と「処理水は有害」と認識している状態が維持されています。
マスコミが誤った情報で不安を煽っていることについて批判されると、「処理水が絶対に安全とは言えない」とか、「処理水の安全性が証明されたわけではない」という常套句によって批判をかわすことができるので、風評が信じられている状態が続きます。

2.消費者は風評によって自分に実害が出ているとは認識していない
ものが溢れる時代にあっては、一地方の産品が供給されなくなっても、他の地域の産品で代替できるのであれば、消費者は表面的には困りません。品質に問題のない産品を作っている生産者が困ったとしても、テレビで危ないと言われている産品の安全性をいちいち自分でチャックすることは面倒なので、そんな商品には手を出さないというのは合理的な判断なようにも思われます。
しかし、そのような行動が目に見えない形で消費者の選択肢を狭め、競争が阻害されることによって価格の上昇をもたらして、消費者に損害を与えています。

3.自分で処理水の備蓄コストを負担していることを知らない
福島第一原発周辺の貯水タンクの映像を見れば、その貯水のためのコストは誰が負担しているのだろうと疑問に思うのですが、他の人は思わないのでしょうか? もしかしたら、憎たらしい東電の社員の給料を減らして貯水のコストに充てていると思われているのかもしれませんが、主には東京電力管内に住んでいる人の電気代で負担されています。東京電力管内に住んでいる人は科学的には全く効果の対策のせいで電気代が上がっていても問題があるとは思わないのでしょうか? 現代では、電気を使わない生活をすることはほとんど不可能なので、電気代が上がると、自分だけではなく、特に所得が少ない人の生活を直撃して重い負担を強いることになります。

最後に
報道機関の役割は「知らないことを知らせる」だけでなく、「社会に誤った認識があればそれを修正する」ということもあると考えているのですが、それともマスコミには「安全なものを安全という責任はマスコミにはない」のでしょうか?

井上 孝之

プロフィール
科学に携わる者として、石原元都知事の「科学が風評に負けるのは国辱だ」という言葉が胸に刺さって、敗北感に打ちひしがれている技術系サラリーマン


2019年9月8日日曜日

韓国問題/嫌韓をどこでやめるのか?

私は外交も安全保障も日韓の歴史も素人なので、盛り上がている韓国ネタに参加することができなかったのですが、一般人でも参加できる論点を見つけたので、論じてみたいと考えています。

それは「嫌韓をどこでやめるのか」という問題です。

韓国の人たちにとっては「反日は永遠のテーマ」と思っているかもしれませんが、日本人にとっては、「いくつかの条件が整えば嫌韓をやめてもいい(というか、条件さえ整えばもう韓国とは関わりたくない)」という問題だと思います。そうであるならば、どのような条件が整えば嫌韓をやめられるのかを整理しておくことには意味があると思います。

嫌韓と言われる人も、韓国と戦争してソウルを陥落させたい訳ではないと思います。「正常の外交関係」になってくれさえすればいいだけです。

その「正常の外交関係」になるまでの道筋を、左翼系の人たちは最初から相手の要求を呑んで良好な関係を築く方向で取り組む方向を主張していると思いますが、一時的に関係が悪くなったとしても、両者が言いたいことを言うことによって相互理解を導いた方がいいと私は考えています。

「雨降って地固まる」という言葉があるとおり、物事には一度、悪い方向に振れた方が結果的に以前より良くなることは多いので、一時的に関係が悪くなることを恐れてはならないと思います。ただし、日本と韓国との間に必要なのは「雨」レベルの軋轢ではなく、「洪水」レベルの軋轢が必要だと思っていす。

さて、私としては以下の条件が満たされれば、嫌韓をやめていいと思います。

1.韓国人が反日が不毛であることを学ぶこと
韓国が反日をエスカレートしても大部分の韓国人にとっていいことは何もありません。
消費者の観点としては、不買運動で買いたい商品が買いにくくなりますが、日本企業は大して痛みを感じません。労働者としては、日本への売り上げが減って給料が下がります。また、日本からの投資が減って、働き口が減っていきます。製造業では、できる限り日本の部品は使わないようにすると設計上の制約が大きくなって、製品のクオリティが落ちます。日本人と良好な関係を築いている人たちにとっても迷惑な話です。
結局、日韓関係が悪くなって得をしているのは、反日を煽って議席や支持率を獲得できる韓国の政治家だけです。韓国の人たちは、政治家に扇動されて、国内の問題から目をそらすために利用されているだけです。問題は韓国の人たちがいつ、このことに気が付いてくれるかです。
気づいてくれさえすれば、もう韓国の人たちと敵対する必要はありません。日本人と韓国人は協力して嘘の情報で両国の対立感情を煽る政治家と戦うことになります。

2.過去の出来事は検証可能な証拠にもとづいてに歴史学者に検証させること
過去の出来事で見解が分かれれば、証拠に基づいて検証する以外にありません。犯罪捜査であろうが、歴史上の問題であろうが同じです。
日本人は過去の出来事を否定しているわけではなく、もし批判を受けるとすれば証拠によって検証された事実に基づいて批判されるべきと考えているだけです。また、嘘や誇張があれば反論するのも当然の権利だと考えています。
もし韓国人が自分たちの主張に十分な証拠や根拠があると主張するなら、それを提示して、あとは歴史学者の検証を待てばいいだけです。日韓で見解に違いがあれば歴史学者同士の検証に委ねざるを得ません。相手国の歴史学者が公正な判断をするのかという疑念があるのであれば、第三国の歴史学者を検証チームに加えてもいいかもしれません。
結局、「検証可能な証拠にもとづいてに歴史学者が導き出した結論」が「現時点でたどり着くことができる最も真実に近い事実」ということになります。従って、「過去の出来事は歴史学者が導き出した結論にもとづいて議論する」という点を受け入れてくれれば、日本人としても事実に基づいた議論に嫌韓の感情を抱くことはない。
ちなみに、歴史教科書の相互検証も求めたいところではありますが、韓国人にこれを期待することは無理でしょうか?

3.締結した約束は守ること
池田信夫さん田村和広さんが国際社会では「約束を守らないことも合理的な選択肢の一つ」というような記事を投稿されていますが、これには日韓関係はこれに当たらないと考えています。なぜなら、隣接している日本と韓国は今後も様々な問題で約束を取り交わしていく必要があるからです。
「約束を破る」ということは、「相手も約束を破っていいと認めること」であり、「次から約束をしなくていいと認めること」でもあります。これでは隣接する国同士が両国間にまたがる問題を交渉することができません。隣接する国同士がこれからも様々な問題を協議していくためには「お互いに約束を守る」という共通認識を持つことが必要です。
お互いに約束を守るという前提を韓国人が受け入れてくれるなら、日本人は嫌韓をやめることができます。
まずは、過去に交わした約束を守るところから始めてもらいたいと考えています。

4.安全保障上の価値観を共有すること
素人目で見る限りは、アメリカチームに属しながらも、心情的にはレッドチームに鞍替えしたいという感じでしょうか?
アメリカチームに属する以上は、「北朝鮮の核を認めない」、「中国の海洋進出を認めない」という価値観を共有してもらう必要があるのですが、そうするつもりはあるのでしょうか?
また、GSOMIAの破棄については、結果的に意味もなくアメリカ軍や韓国軍の兵士や自衛隊員の危険度を増しているので、即刻、破棄を取りやめるべきです。
前から疑問に思っていることは、韓国の子供たちは学校で「日本は残虐な侵略者で、北朝鮮は同胞」と教えられていて、大人になって軍隊に入れば、「日本と協力して、北朝鮮と闘う」なんてことはできるのでしょうか? 子供たちに「安全保障上の友好国」を敵として教えている時点で、「まともな安全保障体制を構築するつもりがるのかどうか」疑問です。

最後に
私は嫌韓をやめる条件として上記の4つ挙げましたが、これについては人それぞれ考えがあると思うので、自分の考えを述べられてはいかがでしょうか?

私は、これらのことは「文明国の人間として当然のこと」と考えていますが、このうちのいくつかは韓国人には受け入れがたいものがあると思われるので、最初は断固拒否すると思いますが、韓国人が受け入れていくのを待ちたいと考えています。

井上 孝之

プロフィール
個人的に知っている韓国人はみんないい人なので、彼らとわだかまりなくつきあえるようになる日が待ち遠しい技術系サラリーマン



「国葬」は「反対運動マニア」の祭典となる

私は「反対運動マニア」というカテゴリーに分類すべき人たちが世の中に一定数いて、政策の実行に当たってはその行動パターンを把握して対策を講じる必要があると考えていますが、そのような観点で論じている人は見当たりません。 確かに、「これは『反対運動マニア』対策のためにやってます」と...