2022年9月23日金曜日

「国葬」は「反対運動マニア」の祭典となる

私は「反対運動マニア」というカテゴリーに分類すべき人たちが世の中に一定数いて、政策の実行に当たってはその行動パターンを把握して対策を講じる必要があると考えていますが、そのような観点で論じている人は見当たりません。

確かに、「これは『反対運動マニア』対策のためにやってます」ということがバレてしまうと、それ自体が反対運動を盛り上げてしまうので、政府の中枢のその辺りを分かっている人がこっそりやっているのかもしれませんが、あまり効果を発揮しているようにも思われません。

特に最近のSNSの発達によって、世の中に点在している「反対運動マニア」の人たちが連携しやすくなっているので、そのカウンターパートとなる人たちもしっかりと対策を講じる必要があると思います。

今回の安倍元首相の「国葬」は「反対運動マニア」を引き付ける要素が満載だったのに、その対策が講じられた形跡はありません。なぜでしょうか? このままいくと、安倍元首相の「国葬」は「反対運動マニア」が結集する祭典となりそうです。

「反対運動マニア」がどのような人なのを私なりに考えると以下のようになります。
  • 集まって騒ぐことが好きな人
  • 政府・大企業のやっていることに漠然と不満を持っていて、抗議する機会を探している人
  • 意識高い系と見られたい人
  • 活動家の「戦争になる」「放射能汚染が起こる」「監視社会が来る」というような不安を煽る言葉を信じてしまう人
  • 活動家が煽る「戦争になる」「放射能汚染が起こる」「監視社会が来る」というような不安と日常生活に潜む様々な不安要素との冷静な比較できない人
  • 代替案を考えることができない人
今回の安倍元首相の「国葬」は、「代替案を考える必要がなく、騒いで中止に追い込めば目的達成」なので、「反対運動マニア」の活動がエスカレートすることは容易に予想できたと思われるのですが、いかがでしょうか?

「反対運動マニア」の人たちが熱心に反対運動していることに以下のようなものがあります。

◎憲法改正反対
この活動の中核をなしている人は「本当に憲法を変えれば戦争になると思っている人たち」です。本当は憲法なんかどうでもいいと思っているので、70年以上前に作られた憲法の第9条以外の問題点も気にならない。

◎原発反対
化石燃料を燃やしてCO2を排出すること、真夏や真冬に停電が起こること、電気代が高騰することのリスクには鈍感である一方、「放射能汚染が起こる」という不安を煽る言葉には敏感。また、「反対運動マニア」の間では「自然エネルギーで代替可能」と信じられているので、代替案を考える必要もない。

◎ナイナンバーカード反対
多大な行政コストには意識が行かない一方で、「監視社会が来る」という言葉には敏感。行政コストに意識が行かないのだから、代替案も考える必要がない。

一方で、「反対運動マニア」の人たちを取り巻く人たちには下記のような人たちがいます。

◆マスコミ
基本的には騒ぎが大きくなるほど儲かるので、「反対運動マニア」の人たちには騒いでほしいと考えている。日常のニュースの端々に「反対運動マニア」の人たちを刺激する言葉を盛り込んで、常に炎上の燃料を投入している。ある意味、最も「反対運動マニア」の人たちの行動パターンを把握している人たち。

◆一部の野党
「反対運動マニア」の人たちは特定のキーワードを叫ぶだけで支持者になってくれるので、ありがたい存在。ただし、いくつかの政党で「反対運動マニア」の人たちの支持を取り合っていて、過激な行動をしないと振り向いてもらえないので、活動はエスカレートする傾向にある。「反対運動マニア」の人たちは派手な活動をしているが、人数自体は少ないので、少数の議席獲得で満足する政党しか手を出さない。



井上孝之

プロフィール
「反対運動マニア」の人たちのような単純な思考だったら、余計なことは考えずもっと幸せな人生を送れたのではないかと考えている技術系サラリーマン

2021年10月7日木曜日

眞子様の結婚問題の論点整理

私は市井のニュースウォッチャーであり、特段の知識も調査手段も持ち合わせていないし、もともと皇室とか天皇制とかには疎い方だったのですが、ついつい眞子様の結婚に関する関連記事は読んでしまいます。いろいろ議論が発散しているのは押させるべき論点が抑えられていないからだと思っています。そこで一介のニュースウォッチャーではありますが、私なりに論点を考えてみたいと思います。

■皇室は日本国の制度である
「皇室」なるものが厳密にどのよう位置づけられるのかを詳しく論じることはできないのですが、日本国の制度であることは紛れもない事実だと思います。日本国の制度であるならば、国民が論じることも意見を言うことも当然の権利のように思われます。

眞子様が誰と結婚するのかという問題は眞子様個人の問題ともいえますが、結果的にその結婚相手やその家族が日本国の制度である皇室と姻戚関係になるのであれば、誹謗中傷はもちろんダメですが、国民が批判したり、反対したりするのは当然の権利です。

皇室というのは、生身の人間を国家制度に組み込む残酷な制度なので、国民の側も皇室の方々の個性や嗜好は尊重する気持ちを持ったうえで考える必要があると思いますが、報道やネットの情報を見る限りでは「小室圭さんが国民の許容限度を超えてダメな人」という結論になっても致し方ありません。

眞子様が「どうしても小室さんと結婚したい」というのであれば、「眞子様は小室さんと結婚したとしても、小室さんは日本国の制度である皇室と姻戚関係にならない状態となる」、つまり、「眞子様が小室さんと結婚して皇籍を離脱した後に皇室と絶縁して、日本国の制度から離れた状態となってもらう」しかないと考えています。

「絶縁」というと厳しい言葉のように思われますが、その結果として愛する人と結婚出来て、一般の日本国民と同等の自由が得られるのであれば、悪い話ではないように思われます。

「眞子様を絶縁する」というのであれば、その是非について議論は巻き起こるとしても、そうと決まれば、あとはその旨の事務的な告知をして、皇室の記録からひっそりと消してしまえばこれほど炎上することもなかったように思われますが、どうでしょうか?
(ちなみに、最近、メンタリスト・DaiGoさんの弟がテレビで取り上げられたそうなのですが、そのときに家系図でメンタリスト・DaiGoさんのところは「長男」となっていたようです。佳子様がご結婚されるとき、眞子様はこのような扱いになるのでしょうか?)

■大手マスコミの忖度
本当かどうかは分かりませんが、「宮内庁は大手マスコミに皇室を取材する権利と引き換えに宮内庁の意向を忖度するような報道内容とすることを求めている」と言われています。確かに大手マスコミは祝賀ムードを無理に醸成しようとして、国民の意見の代弁者とはなっていないように思われます。マスコミが国民の意見の代弁者にならないのであれば、ネット民やユーユーバーが代弁者になって盛り上がることになります。あるユーチューバーが次のように言っていました。

「小室ネタをやるとアクセス数が伸びるので、多くの国民が関心を持っているネタなんだと思われる。特に高齢者のアクセス数が多いので、自分の孫を見るような気持ちでアクセスしてきているのではないかと思われる。大手マスコミが高齢者の意見を代弁していないので、こちらにアクセスしてきているのではないか」

■小室親子の問題
改めて小室親子の問題を整理します。

まずは小室佳代さんです。「母親の問題は関係ない」という意見もありますが、「結婚を通じて皇室と姻戚関係になる」のは小室佳代さんも含まれるはずで、国民にも意見を言う権利があります。生後間もなく生き別れして音信不通の母親であれば、「関係ない」と言えますが、小室圭さんとはこれまで二人三脚で人生を歩んできた人物であり、かなりの部分で価値観を共有する人であると思われるので、「母親と問題は関係ない」とは言えないとに思います。400万円のお金の貸し借りは個人的な問題と言えなくもないかもしれませんが、特に遺族年金(と傷病手当も?)の取得で法律を犯している点と反社会的勢力とのつながり(があると装った?)は日本国民として絶対に看過できません。小室佳代さんは今月分も遺族年金を不正に受け取っているのでしょうか? こんな人物が皇室と姻戚関係になるということを国民として許容できるのでしょうか?

次に小室圭さんです。要するに不誠実です。400万円の問題に対する対応のまずさ、母親の問題に関する説明責任の放棄、自らの経歴詐称や大学の修了に関わる疑惑に関する対応、すべて国民の疑念に対して誠実に対応しようとは見なすことはできないような態度でした。

私が勝手に推察するに、彼はさほど眞子様がさほど好きではなかったのだと思うようになりましたが、本当のところはどうなのでしょうか? そう考えれば彼の不誠実な態度は理解できます。「愛してもいない女性のために誠実な態度なんかやってられるか」という感じでしょうか?

関係が壊れてもいいと思って三菱UFJ銀行を辞めて「稼げる男」でなくなっても眞子様の熱は冷めず、「眞子様のフィアンセ」という立場が公になると、「アメリカの大学に行く費用を貸し付けてやってもいい」という人物が現れ、アメリカの大学からは「学費は免除でいい」と言われ、ニューヨークの大手法律事務所は「うちに就職していい」と言われるに至って、「『眞子様のフィアンセ』という立場がこんなに使えるのか」と彼も驚いているのではないでしょうか? そして、彼はすでにこれまでの出来事の暴露本を出せば大金を稼げる立場も手中に収めています。

■火に油を注いだのは眞子様
もともと小室圭さんは日本に帰ってくる必要はなかったにも関わらず帰ってきてしまったせいで、警備、渡航方法・費用、滞在場所、記者会見の問題が生じて、ネットの炎上がひどくなりました。この件について、小室圭さんの帰国を熱望されたのは眞子様であると報道されていますが本当のところはどうなのでしょうか?

記者会見なんかやっても疑惑を払拭できる説明なんかできるわけないのだから、やれば火に油を注ぐことになるということが予測できないのでしょうか?

■宮内庁って無能なの?
皇室というのは国民の世論の支持があって成り立つものなのに、宮内庁の世論の動向を予測する能力の低さに驚いています。眞子様のPTSDの発表なんかまるでネットで炎上させるために発表したんじゃないかと勘繰りたくなるような発表方法でした。それ以外にも宮内庁が初期段階でしっかり対応していればここまで問題が大きくはならなかったと思われることが多いのですがどの程度、この問題に対して真剣に取り組んできたのでしょうか?


井上孝之

プロフィール
KK問題を見て、1980年代の三浦事件を思い出している技術系サラリーマン。疑惑の三浦さんもいくら叩いても飽きることなく疑惑が出てくる人でした・・・。

2021年5月30日日曜日

与党政治家はオリンピックをやりたいはず

オリンピックの中止論が盛んですが、菅総理以下の政権の中枢にいる政治家の皆さんはオリンピックをやりたいと考えているはずです。というか、与党政治家にとっては「オリンピック実施」の一択だと思っています。

その理由は「今回のオリンピックは日本人選手にとって相当に有利だから」です。

日本人選手にとっては、勝手知ったるホームグラウンドで、日本の夏の暑さにも十分に体を慣らしてから試合に臨むことができますが、外国人選手は感染対策をしながら体を日本の暑さに慣らさなければならないので、同じ条件で競うことはほとんど無理です。

このような環境でオリンピックをやることが「公平」なのかという問題はあると思いますが、「公平」よりも上位に「安全」があります。選手にとっては「公平性が担保できないから中止する」となるとこれまでのトレーニングが無駄になるので、「公平性が担保できなくても実施してほしい」となると思っているはずです。

問題が起こるとすれば、「日本人が勝ちすぎて外国から不満がでること」ぐらいだと思っています。

日本のマスコミは、今はオリンピックの中止論で盛り上げようとしていますが、実際にオリンピックが始まって、日本人のメダルラッシュが起これば、オリンピックの中止論なんかすっかり忘れてメダリストの称賛に切り替わると思っています。

新型コロナの感染については、それこそ「外国人選手に十分な練習をさせないくらい」徹底的にやることになると思われるので、大した問題にはならないと思っています。

そして9月頃には、「こんなに日本人が活躍して、やっぱりオリンピックはやってよかった」という雰囲気になり、ワクチン接種の効果が出て高齢者の重症者数は減少して、携帯電話料金の値下げも実感できるようになった頃に解散総選挙を打つというのが、菅総理が考えているシナリオになるのではというのが私の予想です。


井上孝之

プロフィール
サラリーマンとしては、無責任な中止論が叫ばれる中、必死で準備している事務局の皆さんに最大級のエールを送りたい技術系サラリーマン

2021年5月27日木曜日

カーボンニュートラル/誰も地球温暖化なんか恐れていない

以前から気になっていたことに、カーボンニュートラルというお題目の前では水素のように少しの科学的知識があれば「おかしい」と思えるような主張でもまかり通ってしまうことがあります。多分、中学生くらいの科学少年・少女でも「水素でカーボンニュートラルなんかできるわけねーだろう」と思っているはずです。また、テレビ番組で水素を報道するときには、「消費時にはCO2を出さない」と強調されます。それは「生産時にはたっぷりとエネルギーを消費している」ということを報道する側も知っているからに他ならないからなのですが、「水素はいいもの」という前提で番組は進みます。

なぜ子供でもおかしいと思えることがまかり通っているかといえば、カーボンニュートラルの本当の目的は「地球温暖化の防止」ではないからだと思っています。なぜなら、本当は誰も地球温暖化なんか恐れていません。もし本当に地球温暖化を恐れているなら、別の意味で恐ろしい原子力発電とどちらが恐ろしいのかという議論も浮上しそうですが、原子力発電を話題に持ち出すことは「絶対タブー」です。

それでも、カーボンニュートラルを主張する人が現れるのは、下記のような理由だと思います。

①周りから意識高い系と認知されたい
カーボンニュートラルを主張すると周りからは「意識高い系の人」と見なしてもらえます。そういうことに価値を感じる人はそうします。テスラの車に乗るような人や「環境にいいと言われるもの」を他の人から見えるところで使っている人もこれに該当します。ちなみに、テスラの車を試乗した勝間和代氏は「こんなペコペコな車、長時間乗ってられない」とおっしゃっておられました。意識高い系に見られたい人はペコペコの車に長時間乗る苦痛に耐える必要があります。

②「俺様は正しい、お前は間違っている」と言って他人を罵倒して悦に入りたい
「俺様は正しい、お前は間違っている」と言って他人を罵倒することは最高の満足感を与えてくれます。だからネット上では炎上が絶えないのです。ポリコレに沿って他人を攻撃している限りは必ず同調者が現れるので、相手が反論してきても、大勢でフルボッコにすることができます。

③ポリコレの流れに乗ることで利益を得たい
私の職場の部署長はその時々のポリコレのネタを熱心に取り組むことで、自分の存在をアピールして出世の階段を上ってきました。「そんなことしていくら儲かるんだ」という冷ややかな声に対しては「世の中の流れに沿うことこそ会社に対する最高の利益貢献」と言って批判を封じ込めてきました。彼を見て、一個人がポリコレが正しいかどうかを考えるよりも、「ポリコレは常に正しい」として、そこからいかに自分の利益に結び付けるのかに徹した方が個人の選択としては正しいのではないかと考えるようになりました。

科学者にとっても、水素がカーボンニュートラルをもたらすかどうかを考えるよりも水素エネルギーの研究を提案することで予算を取って食い扶持を確保した方が合理的な選択です。また、企業にとっても、社有車の一部を水素自動車にしただけで「環境にやさしい会社」という評価を得られるのであれば、その費用は広告宣伝費として割り切ればいいだけです。

◆なぜ政治家は実現不可能な目標を掲げるのか
政治家が実現不可能な目標を掲げるのは、「本当は誰もその目標の実現可能性について問題にしない」ということを知っているからです。だから、小泉進次郎氏の「おぼろげながら『46』という数字が浮かんできたんです」というような人をなめているような発言が許されるのです。

目標の年度が遠い将来なのは、①その頃は自分は死んで責任を取る必要がないからであり、②無責任な大衆は大昔の約束など覚えていないからであり、③その頃には別のポリコレが流行っている可能性が高いからです。そもそも世界中の人が飽きもせずカーボンニュートラルというお題目を何十年も唱え続けると考える方が不自然です。

政治家にとって大切なことは、「壮大な目標が実現しなくても言い逃れできる逃げ道を作っておくこと」であって、「壮大な目標を実現しようとすること」ではないと思っています。

井上孝之

プロフィール
いくら出世のためとはいえ、「ポリコレは常に正しい」に徹することのできない技術系サラリーマン。


2020年10月3日土曜日

ベーシックインカムを導入したらどんな日本になるのかを想像してみよう!

先日の投稿で「ベーシックインカムの導入について、誰も真剣に考えていない」と書いたところ、誰からも反論がなかったので、「本当に誰も真剣に考えていない」ということが確認できたわけですが、それでも、時々、ベーシックインカムが話題に上るのは、「ただでお金がもらえる社会というものが魅力的だから」だど思っています。

そこで、ベーシックインカムが導入されると日本はどう変わるかを以下のように考えてみたわけですが、この原稿を書きながら思ったことは、ベーシックインカムで議論の中心となる「財源をどうするか」という問題は実は小さな問題で、国民のマインドが「安定重視」から「挑戦重視」に変わることの影響をどう評価するかが重要になるのではないかということでした。

◆国民は大きく3つに分かれる
ベーシックインカムが導入されると日本の国民は大きく3つに分かれると考えています。
①働かないでベーシックインカムの範囲で生活する
頑張らない代わりに多くも望まないという人はこの生活スタイルとなります。多分、一度この生活に慣れてしまうと少し働くことも苦痛になるので、この生活からは抜けられなくなると思われます。
②ベーシックインカムに加えて、そこそこ働くことでそこそこの生活をする
ベーシックインカムだけでは足りないので、少し働くことで足りない分を補填して、そこそこの暮らしをするというライフスタイルとなります。国民の大半がこのライフスタイルを選択することになると考えられます。
③高い目標を掲げ、リスクに挑戦する
ベーシックインカムによって、リスクに挑戦して失敗しても最低限の生活が保障されるので、起業や新規事業のようなリスクの高いことに挑戦する人が多く出てくると思われる。その結果、日本は新規ビジネス大国になるかもしれません。もしかしたら、ベーシックインカムの導入に必要なコストはこの人たちが生み出す富で賄うことができるかもしれないと考えています。

◆労働者にやさしい社会ができる
「生活が苦しいので、きつい仕事でも働かざるを得ない」という人がいなくなるので、労働者に配慮した業務でしか人を雇うことができなくなります。少しでもきつい仕事を割り振ると、「こんなにきつい仕事をやらされるぐらいなら、ベーシックインカムの範囲でつつましく生活します」と言って労働者は去っていくことなります。

◆(一部の)地方の再生
東京の都心に住んでも、地方の田舎に住んでも、もらえる額が同じであれば、物価と家賃が安い田舎の方がいいと考える人は出てくるはずです。地方都市もベーシックインカマー(造語!)を誘致するところも出てくることが予想されます。ただし、これで再生されるのは、物価が安くて、移住者の済むところがあって、ネットはつながりやすくて、気候はそこそこ穏やか、自然が豊かという条件を満たすところだけなので、再生される地域は限られそうです。ベーシックインカムができると「職場の近くに住む」必要がなくなるので、夏は北海道、冬は沖縄、春と秋は本州に住むというライフスタイルが出てくるかもしれません。

◆日本はエンタメ大国となる
「収入が不安定だから」という理由で敬遠されていたエンタメ系の仕事に挑戦する人が増え、日本からも世界的なアーティストが多数輩出されることが予想されます。世界のヒットチャートで日本人アーティストの曲が上位を占め、アメリカのアカデミー賞や世界の映画祭で日本の映画や関係者が賞を受賞することが当たり前となるかもしれません。

◆日本は科学&学術大国になる
「親の収入が少ないから大学に行けない」ということがなくなるので、科学に限らず優れた才能を持った人が大学に行って、その能力を磨くことができるようになります。特に科学の分野でも「生まれたときに才能を授かったかどうか」が大きいので、科学的な才能のある人がその才能を磨くことができるようになれば、多くの偉大な科学者を輩出できるようになるかもしれません。

◆大学卒プアが増加する
「親の収入が少ないから大学に行けない」ということがなくなるので、頭脳労働に適さない人も大学に行くようになることが予想されます。頭脳労働に向かない人が「大学卒」の資格を取っても、労働者としての価値が向上するわけではないので、社会に出るのが4年遅れたうえに高卒と同程度の収入に甘んじる人が多数輩出されるようになります。

◆少子化は解消されるが、幼児虐待やネグレクトも増える
「お金がないから結婚できない/子供を作れない」という人は減るうえ、明確に「子供を作ることのインセンティブ」ができるので、少子化は解消されるかもしれませんが、その一方で、「子供は国から金をもらうための道具」としか考えない親が様々な問題を起こすおそれがあります。

◆苛烈な競争社会がくる?
上記のライフスタイル③を選択した人に限定した話となりますが、ベーシックインカムは失業保険の代替でもあり、会社をクビになっても「食えない」ということもなくなるので、会社はクビを切りやすくなります。そもそも、「仕事」とは「仕事が好きな人」だけのものとなって、仕事をやる以上は「プロ」としての高いレベルの成果が求められるようになり、働く側も自分の能力を高く買ってくれる職場を渡り歩くことになることが予想されます。その結果、成果連動型の給与体系が一般化し、労働者は厳しい競争のなかで働くことになります。

◆健全な野党ができるようになる?
野党がお得意の「こんなに貧しくて困っている人がいるのに政府は何もやっていない」と主張して政権を批判することができなくなる。野党がそんな主張をしたら、「ベーシックインカムをもらっているだろ」と野次が飛ぶことになる。その結果、野党は政権よりもいい政策を提案することでしか存在をアピールすることができなくなる。


井上孝之

プロフィール
ベーシックインカムができた後も現在の大企業の窓際というぬるま湯な職場が存在し続けるのかが気がかりな技術系サラリーマン

2020年9月26日土曜日

ベーシックインカム/誰もロードマップを示さないのはなぜ

私は大手企業に勤める技術系サラリーマンなので、単なるニュースウォッチャーとしてベーシックインカムの報道を見ているだけですが、以前から疑問に思っていることがあります。

それは、「なぜ誰も導入に向けたロードマップを提示しないのか」ということです。

ベーシックインカムは今日、国会で決議すれば、明日から導入できるようなものではないはずです。

来るべき「ベーシックインカムのある社会」は、現在の「ベーシックインカムのない社会」とは相当に異なり、そこに至るまでの道筋の案を示してもらえなければ、「実現可能性のある制度」であるという認識のもとで議論することができません。

どの制度を残し、どの制度を廃止するのか、あるいは、既存の仕組みと新しい仕組みをどのよな順序で入れ替えていくのかについて具体的に示されないので、誰も将来実現する制度という認識を持てずに、議論が前に進まないことになります。

経済学者や社会学者でそのようなことに真剣に考えておられる研究者の方はいらっしゃるのでしょうか? なぜそのような方はテレビに出て(Youtubeでもいいです)、自らのプランを語ってくれないのでしょうか?

私は「誰も真剣にベーシックインカムの導入について考えていない」と思っていますが、本当のところはどうなのでしょうか?

竹中平蔵氏もテレビ局から「何かアイデアを提示してほしい」と言われて、「それなら手垢のついたベーシックインカムについて語ってみるか」と思っただけで、本当に「ベーシックインカムのある社会」が来ることが望ましいとは思っていないように思われます。

つまり、ベーシックインカムというのは、「テレビ局がネタ切れしたときに、隙間を埋めるためのネタ」というのが、私の認識です。

ちなみに、現在の私自身の身の回りで考えれば、大学生の息子への仕送りがベーシックインカムに置き換わって、学費の一部を補助してやるような感じになるように思われます。このような観点で見れば、「経済的な理由で大学進学をあきらめる」という人は大幅に減るかもしれません。それがいいことかどうかは別ですが・・・。


井上孝之

プロフィール
若いころにベーシックインカムがあれば、ロックミュージシャンになる可能性を追求したかもしれない技術系サラリーマン

2020年7月5日日曜日

レジ袋問題は欧米人の自己満足

アゴラがレジ袋についての意見を募集しているので、思うところを述べさせていただきます。

海洋プラスチック問題に端を発したレジ袋問題については、欧米人による「俺様は正しい、お前は間違っている。だから、俺様が作ったルールじ従え」運動の一つだと思っています。

他の人の何らかの問題点を見つけて、「お前は間違っている」と難癖をつけて、相手の行動を変えさせることは、「自分は正義を成した」という満足感と、「自分の作ったルールに相手を従わせる」という満足感に加えて、最初にルールを作った者の特権として、「そのルールを自分に有利に作ることができる」という特典までついてきます。

これはCO2削減運動とも「問題点を見つけてきて、自分たちが作ったルールに従わせる」という点で共通しています。ESG投資、SDGs、最近で出てきたTCFDも同様です。

ここで問題となるのは、活動家の目的が「自分たちの正しさを相手に認めさせて、自分たちの作ったルールに従わせる」ことなので、「必ずしも科学的に正しくなくてもいい」と考えていることです。

相手に自分たちが作ったルールに従わせるためには、相手が受け入れやすい論理を用意する必要があります。海洋プラスチック問題も、自分たちが捨てたゴミによって、海の生物の生物の生活環境に影響が出れば良心が痛みます。異常気象が増えて、水害が増えれば、自分も被害に遭うのではないかと不安になります。そういう心の隙に、「我々のルールに従えば、良心が痛んだり、不安になったりすることなくなりますよ」と言って近づいてくるのが彼らの常套手段です。(まるで新興宗教の勧誘です)

従って、「俺様は正しい、お前は間違っている。だから、俺様が作ったルールじ従え」という主張のポイントは、相手にとって受け入れやすいかどうかであって、科学的に正しい、あるいは、本当に地球に良いかどうかは関係ありません。

こういう問題が厄介なのは、迂闊に批判すると、「世の中の潮流に反する人間」というレッテルを貼って攻撃してくるので、批判をする前に科学的な根拠をしっかりと集めておく必要があります。

ここで、私の職場の部署長について考えたいと思います。彼はCO2削減もESGもSDGsも大好きで、部署の方針書はそういう言葉が躍っています。部署の社員の仕事内容に何らかの変化があったわけではありませんが、社内では「先進的な取り組みを行っている部署」と見なされるようになりました。

彼は自分が「世の中の潮流に敏感で、そういうことに積極的に取り組む人間」とPRすることで、出世の階段を上がっていきました。彼を見て思うことは、「こういう取り組みをしても、地球環境が良くなるわけではないが、自分の給与明細の数字は良くすることができる」ということです。10年ぐらい前に彼の取組みを知っていれば私の給与明細の数字も多少は違ったのではないかと考えている次第です。


井上孝之

プロフィール

私の人生のロールモデルとなりつつある我が部署長ですが、科学的根拠の希薄な取り組みに彼ほど熱心になれないところが私のサラリーマンとしての限界だと気が付きつつある技術系サラリーマン

「国葬」は「反対運動マニア」の祭典となる

私は「反対運動マニア」というカテゴリーに分類すべき人たちが世の中に一定数いて、政策の実行に当たってはその行動パターンを把握して対策を講じる必要があると考えていますが、そのような観点で論じている人は見当たりません。 確かに、「これは『反対運動マニア』対策のためにやってます」と...