小泉環境相が就任早々の福島第一原発事故に関連したスタンドプレーにより、福島県沖で取れた魚の「風評被害」がクローズアップされましたので、思うところを記したいと思います。
福島第一原発周辺ではトリチウムを自然界よりも多めに含んだ水(処理水)が大量に備蓄されていて、近い将来、満杯になると予想されています。
結局、海に流す以外の解決策はないのですが、この解決策については、福島県の漁協が「風評によって捕れた魚の商品価値が下がる」として反対しています。
処理水が海に放出されてると、マスコミがあたかも人体に有害な物質が海に放出されると騒いで、これによって消費者は福島県沖で取れた魚を買わなくなるという風評被害が起こるので、福島県の漁協の立場に立てば、処理水の放水放出に反対してできる限り遅くさせることは合理的です。
風評被害というのは、売り手にとっては品質に問題がない商品であっても消費者に買ってもらうことができなくなり、消費者にとっては品質に問題がない商品であっても誤った情報を得ているのでその商品を選択することができず、購入する商品の選択肢が減ります。社会全体の影響でみれば、経済活動が停滞し、税収も減ります。
しかも不安を煽って誤った情報をまき散らしたマスコミが儲けるという社会にとって最悪の結果となるので、「風評被害」は絶対に防がなければならない問題であり、誤った情報をまき散らす連中には断固とした態度をとる必要があると思っているのですが、そのような意見はほとんど聞かれません。
小泉進次郎氏も風評と戦うのではなく、風評被害が起こることを前提に「風評の被害者と寄り添う」とか言っています。
前述の通り、「風評被害というのは、生産者にとっても、消費者にとって、社会全体にとっても、損害を被ることとなり、風評をばらまいたマスコミが儲けるという最悪の事態」となる訳ですが、ここで疑問となるのは、「風評被害は絶対に起こしてはならない」という認識を社会で共有できないのはなぜかということです。
マスコミに業界とは全く無縁な私なりに考えた結論は以下の通りですが、いかがでしょうか?
1.風評はマスコミにとっては都合がいいから
マスコミにとっては、「風評」とは言わないまでも、視聴者や読者の不安を煽って視聴率や販売量を稼ぐのは常套手段です。不安を煽って収益を上げることをビジネスモデルにしているマスコミにとっては、「福島第一原発の処理水が人体にとって有害である」と一般に認識されていることは、「都合がいいこと」であり、誤った認識を修正するような報道を行ったりはしません。
また、誤った認識を修正するような動きには無視することで対応します。この点については、マスコミ業界で一致団結して無視しているので、自分自身で処理水の有害性について調べるような物好き以外の人は漠然と「処理水は有害」と認識している状態が維持されています。
マスコミが誤った情報で不安を煽っていることについて批判されると、「処理水が絶対に安全とは言えない」とか、「処理水の安全性が証明されたわけではない」という常套句によって批判をかわすことができるので、風評が信じられている状態が続きます。
2.消費者は風評によって自分に実害が出ているとは認識していない
ものが溢れる時代にあっては、一地方の産品が供給されなくなっても、他の地域の産品で代替できるのであれば、消費者は表面的には困りません。品質に問題のない産品を作っている生産者が困ったとしても、テレビで危ないと言われている産品の安全性をいちいち自分でチャックすることは面倒なので、そんな商品には手を出さないというのは合理的な判断なようにも思われます。
しかし、そのような行動が目に見えない形で消費者の選択肢を狭め、競争が阻害されることによって価格の上昇をもたらして、消費者に損害を与えています。
3.自分で処理水の備蓄コストを負担していることを知らない
福島第一原発周辺の貯水タンクの映像を見れば、その貯水のためのコストは誰が負担しているのだろうと疑問に思うのですが、他の人は思わないのでしょうか? もしかしたら、憎たらしい東電の社員の給料を減らして貯水のコストに充てていると思われているのかもしれませんが、主には東京電力管内に住んでいる人の電気代で負担されています。東京電力管内に住んでいる人は科学的には全く効果の対策のせいで電気代が上がっていても問題があるとは思わないのでしょうか? 現代では、電気を使わない生活をすることはほとんど不可能なので、電気代が上がると、自分だけではなく、特に所得が少ない人の生活を直撃して重い負担を強いることになります。
最後に
報道機関の役割は「知らないことを知らせる」だけでなく、「社会に誤った認識があればそれを修正する」ということもあると考えているのですが、それともマスコミには「安全なものを安全という責任はマスコミにはない」のでしょうか?
井上 孝之
プロフィール
科学に携わる者として、石原元都知事の「科学が風評に負けるのは国辱だ」という言葉が胸に刺さって、敗北感に打ちひしがれている技術系サラリーマン
2019年9月21日土曜日
2019年9月8日日曜日
韓国問題/嫌韓をどこでやめるのか?
私は外交も安全保障も日韓の歴史も素人なので、盛り上がている韓国ネタに参加することができなかったのですが、一般人でも参加できる論点を見つけたので、論じてみたいと考えています。
それは「嫌韓をどこでやめるのか」という問題です。
韓国の人たちにとっては「反日は永遠のテーマ」と思っているかもしれませんが、日本人にとっては、「いくつかの条件が整えば嫌韓をやめてもいい(というか、条件さえ整えばもう韓国とは関わりたくない)」という問題だと思います。そうであるならば、どのような条件が整えば嫌韓をやめられるのかを整理しておくことには意味があると思います。
嫌韓と言われる人も、韓国と戦争してソウルを陥落させたい訳ではないと思います。「正常の外交関係」になってくれさえすればいいだけです。
その「正常の外交関係」になるまでの道筋を、左翼系の人たちは最初から相手の要求を呑んで良好な関係を築く方向で取り組む方向を主張していると思いますが、一時的に関係が悪くなったとしても、両者が言いたいことを言うことによって相互理解を導いた方がいいと私は考えています。
「雨降って地固まる」という言葉があるとおり、物事には一度、悪い方向に振れた方が結果的に以前より良くなることは多いので、一時的に関係が悪くなることを恐れてはならないと思います。ただし、日本と韓国との間に必要なのは「雨」レベルの軋轢ではなく、「洪水」レベルの軋轢が必要だと思っていす。
さて、私としては以下の条件が満たされれば、嫌韓をやめていいと思います。
1.韓国人が反日が不毛であることを学ぶこと
韓国が反日をエスカレートしても大部分の韓国人にとっていいことは何もありません。
消費者の観点としては、不買運動で買いたい商品が買いにくくなりますが、日本企業は大して痛みを感じません。労働者としては、日本への売り上げが減って給料が下がります。また、日本からの投資が減って、働き口が減っていきます。製造業では、できる限り日本の部品は使わないようにすると設計上の制約が大きくなって、製品のクオリティが落ちます。日本人と良好な関係を築いている人たちにとっても迷惑な話です。
結局、日韓関係が悪くなって得をしているのは、反日を煽って議席や支持率を獲得できる韓国の政治家だけです。韓国の人たちは、政治家に扇動されて、国内の問題から目をそらすために利用されているだけです。問題は韓国の人たちがいつ、このことに気が付いてくれるかです。
気づいてくれさえすれば、もう韓国の人たちと敵対する必要はありません。日本人と韓国人は協力して嘘の情報で両国の対立感情を煽る政治家と戦うことになります。
2.過去の出来事は検証可能な証拠にもとづいてに歴史学者に検証させること
過去の出来事で見解が分かれれば、証拠に基づいて検証する以外にありません。犯罪捜査であろうが、歴史上の問題であろうが同じです。
日本人は過去の出来事を否定しているわけではなく、もし批判を受けるとすれば証拠によって検証された事実に基づいて批判されるべきと考えているだけです。また、嘘や誇張があれば反論するのも当然の権利だと考えています。
もし韓国人が自分たちの主張に十分な証拠や根拠があると主張するなら、それを提示して、あとは歴史学者の検証を待てばいいだけです。日韓で見解に違いがあれば歴史学者同士の検証に委ねざるを得ません。相手国の歴史学者が公正な判断をするのかという疑念があるのであれば、第三国の歴史学者を検証チームに加えてもいいかもしれません。
結局、「検証可能な証拠にもとづいてに歴史学者が導き出した結論」が「現時点でたどり着くことができる最も真実に近い事実」ということになります。従って、「過去の出来事は歴史学者が導き出した結論にもとづいて議論する」という点を受け入れてくれれば、日本人としても事実に基づいた議論に嫌韓の感情を抱くことはない。
ちなみに、歴史教科書の相互検証も求めたいところではありますが、韓国人にこれを期待することは無理でしょうか?
3.締結した約束は守ること
池田信夫さんと田村和広さんが国際社会では「約束を守らないことも合理的な選択肢の一つ」というような記事を投稿されていますが、これには日韓関係はこれに当たらないと考えています。なぜなら、隣接している日本と韓国は今後も様々な問題で約束を取り交わしていく必要があるからです。
「約束を破る」ということは、「相手も約束を破っていいと認めること」であり、「次から約束をしなくていいと認めること」でもあります。これでは隣接する国同士が両国間にまたがる問題を交渉することができません。隣接する国同士がこれからも様々な問題を協議していくためには「お互いに約束を守る」という共通認識を持つことが必要です。
お互いに約束を守るという前提を韓国人が受け入れてくれるなら、日本人は嫌韓をやめることができます。
まずは、過去に交わした約束を守るところから始めてもらいたいと考えています。
4.安全保障上の価値観を共有すること
素人目で見る限りは、アメリカチームに属しながらも、心情的にはレッドチームに鞍替えしたいという感じでしょうか?
アメリカチームに属する以上は、「北朝鮮の核を認めない」、「中国の海洋進出を認めない」という価値観を共有してもらう必要があるのですが、そうするつもりはあるのでしょうか?
また、GSOMIAの破棄については、結果的に意味もなくアメリカ軍や韓国軍の兵士や自衛隊員の危険度を増しているので、即刻、破棄を取りやめるべきです。
前から疑問に思っていることは、韓国の子供たちは学校で「日本は残虐な侵略者で、北朝鮮は同胞」と教えられていて、大人になって軍隊に入れば、「日本と協力して、北朝鮮と闘う」なんてことはできるのでしょうか? 子供たちに「安全保障上の友好国」を敵として教えている時点で、「まともな安全保障体制を構築するつもりがるのかどうか」疑問です。
最後に
私は嫌韓をやめる条件として上記の4つ挙げましたが、これについては人それぞれ考えがあると思うので、自分の考えを述べられてはいかがでしょうか?
私は、これらのことは「文明国の人間として当然のこと」と考えていますが、このうちのいくつかは韓国人には受け入れがたいものがあると思われるので、最初は断固拒否すると思いますが、韓国人が受け入れていくのを待ちたいと考えています。
井上 孝之
プロフィール
個人的に知っている韓国人はみんないい人なので、彼らとわだかまりなくつきあえるようになる日が待ち遠しい技術系サラリーマン
それは「嫌韓をどこでやめるのか」という問題です。
韓国の人たちにとっては「反日は永遠のテーマ」と思っているかもしれませんが、日本人にとっては、「いくつかの条件が整えば嫌韓をやめてもいい(というか、条件さえ整えばもう韓国とは関わりたくない)」という問題だと思います。そうであるならば、どのような条件が整えば嫌韓をやめられるのかを整理しておくことには意味があると思います。
嫌韓と言われる人も、韓国と戦争してソウルを陥落させたい訳ではないと思います。「正常の外交関係」になってくれさえすればいいだけです。
その「正常の外交関係」になるまでの道筋を、左翼系の人たちは最初から相手の要求を呑んで良好な関係を築く方向で取り組む方向を主張していると思いますが、一時的に関係が悪くなったとしても、両者が言いたいことを言うことによって相互理解を導いた方がいいと私は考えています。
「雨降って地固まる」という言葉があるとおり、物事には一度、悪い方向に振れた方が結果的に以前より良くなることは多いので、一時的に関係が悪くなることを恐れてはならないと思います。ただし、日本と韓国との間に必要なのは「雨」レベルの軋轢ではなく、「洪水」レベルの軋轢が必要だと思っていす。
さて、私としては以下の条件が満たされれば、嫌韓をやめていいと思います。
1.韓国人が反日が不毛であることを学ぶこと
韓国が反日をエスカレートしても大部分の韓国人にとっていいことは何もありません。
消費者の観点としては、不買運動で買いたい商品が買いにくくなりますが、日本企業は大して痛みを感じません。労働者としては、日本への売り上げが減って給料が下がります。また、日本からの投資が減って、働き口が減っていきます。製造業では、できる限り日本の部品は使わないようにすると設計上の制約が大きくなって、製品のクオリティが落ちます。日本人と良好な関係を築いている人たちにとっても迷惑な話です。
結局、日韓関係が悪くなって得をしているのは、反日を煽って議席や支持率を獲得できる韓国の政治家だけです。韓国の人たちは、政治家に扇動されて、国内の問題から目をそらすために利用されているだけです。問題は韓国の人たちがいつ、このことに気が付いてくれるかです。
気づいてくれさえすれば、もう韓国の人たちと敵対する必要はありません。日本人と韓国人は協力して嘘の情報で両国の対立感情を煽る政治家と戦うことになります。
2.過去の出来事は検証可能な証拠にもとづいてに歴史学者に検証させること
過去の出来事で見解が分かれれば、証拠に基づいて検証する以外にありません。犯罪捜査であろうが、歴史上の問題であろうが同じです。
日本人は過去の出来事を否定しているわけではなく、もし批判を受けるとすれば証拠によって検証された事実に基づいて批判されるべきと考えているだけです。また、嘘や誇張があれば反論するのも当然の権利だと考えています。
もし韓国人が自分たちの主張に十分な証拠や根拠があると主張するなら、それを提示して、あとは歴史学者の検証を待てばいいだけです。日韓で見解に違いがあれば歴史学者同士の検証に委ねざるを得ません。相手国の歴史学者が公正な判断をするのかという疑念があるのであれば、第三国の歴史学者を検証チームに加えてもいいかもしれません。
結局、「検証可能な証拠にもとづいてに歴史学者が導き出した結論」が「現時点でたどり着くことができる最も真実に近い事実」ということになります。従って、「過去の出来事は歴史学者が導き出した結論にもとづいて議論する」という点を受け入れてくれれば、日本人としても事実に基づいた議論に嫌韓の感情を抱くことはない。
ちなみに、歴史教科書の相互検証も求めたいところではありますが、韓国人にこれを期待することは無理でしょうか?
3.締結した約束は守ること
池田信夫さんと田村和広さんが国際社会では「約束を守らないことも合理的な選択肢の一つ」というような記事を投稿されていますが、これには日韓関係はこれに当たらないと考えています。なぜなら、隣接している日本と韓国は今後も様々な問題で約束を取り交わしていく必要があるからです。
「約束を破る」ということは、「相手も約束を破っていいと認めること」であり、「次から約束をしなくていいと認めること」でもあります。これでは隣接する国同士が両国間にまたがる問題を交渉することができません。隣接する国同士がこれからも様々な問題を協議していくためには「お互いに約束を守る」という共通認識を持つことが必要です。
お互いに約束を守るという前提を韓国人が受け入れてくれるなら、日本人は嫌韓をやめることができます。
まずは、過去に交わした約束を守るところから始めてもらいたいと考えています。
4.安全保障上の価値観を共有すること
素人目で見る限りは、アメリカチームに属しながらも、心情的にはレッドチームに鞍替えしたいという感じでしょうか?
アメリカチームに属する以上は、「北朝鮮の核を認めない」、「中国の海洋進出を認めない」という価値観を共有してもらう必要があるのですが、そうするつもりはあるのでしょうか?
また、GSOMIAの破棄については、結果的に意味もなくアメリカ軍や韓国軍の兵士や自衛隊員の危険度を増しているので、即刻、破棄を取りやめるべきです。
前から疑問に思っていることは、韓国の子供たちは学校で「日本は残虐な侵略者で、北朝鮮は同胞」と教えられていて、大人になって軍隊に入れば、「日本と協力して、北朝鮮と闘う」なんてことはできるのでしょうか? 子供たちに「安全保障上の友好国」を敵として教えている時点で、「まともな安全保障体制を構築するつもりがるのかどうか」疑問です。
最後に
私は嫌韓をやめる条件として上記の4つ挙げましたが、これについては人それぞれ考えがあると思うので、自分の考えを述べられてはいかがでしょうか?
私は、これらのことは「文明国の人間として当然のこと」と考えていますが、このうちのいくつかは韓国人には受け入れがたいものがあると思われるので、最初は断固拒否すると思いますが、韓国人が受け入れていくのを待ちたいと考えています。
井上 孝之
プロフィール
個人的に知っている韓国人はみんないい人なので、彼らとわだかまりなくつきあえるようになる日が待ち遠しい技術系サラリーマン
2019年8月14日水曜日
人を不快にする芸術が満たすべき条件
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になったことを受けて、「人を不快にする芸術」が満たすべき条件について考えてみました。
この場合の「人を不快にする芸術」というのは、「美しいものをつくったつもりが、結果的に人を不快にしてしまうものになった」という意味ではなく、「意図的に人を不快にする要素を芸術作品に盛り込むことで、何らかのメッセージを伝えようとする作品」のことを指します。
1.大義
人に不快な思いをさせたり、反感を買ってまでも自分の芸術作品を展示するには、その不快感や反感を上回る大義が必要です。
「これまで目を背けていた事実に気が付いてほしい」、「これまで注目されてこなかったこの問題について考えてほしい」、「これまでと異なるものの見方をしてみませんか」等のアピールにより、一時的には不快になっても、結果的に世の中が良くなる方向に作用することが期待できる内容であることが必要です。これがなければ、単に人を不快にさせるだけで終わってしまいます。
ところで、「表現の不自由展・その後」展には、どんな大義があったのでしょうか?
2.信念
人を不快にさせる作品を人の目に触れるところに展示するのだから、当然、反発が起こります。中には展示を中止させようとする人も出てきます。
「人を不快にする作品」を展示させるためには、そのような反発に対してぶれない信念が必要です。反発が起こって、それに屈して安易に作品を取り下げてしまえば、「表現の自由があるはずなのに、反対運動が起これば、芸術家は世の中の反発に屈して作品を取り下げる」という悪い前例を作って、これから作品を発表しようとしている人の活動に悪影響を与えてしまいます。
ところで、「表現の不自由展・その後」展の関係者には、どのくらい強い信念があったのでしょうか? 本当に強い信念があれば、展示するスペースを自分たちで確保して、運営や警備の費用もクラウドファンディングか何かで集めれば、改めて作品を展示することは何とかなるように思われますが、それをやらない理由は何なのでしょうか?
3.戦略
見る人を不快にさせる作品を展示するのだから、それを見て不快に思った人は抗議の声を上げたり、様々な方法でその展示をやめさせようとします。その様々な妨害を予測して対策を講じておかなければ、その作品を展示し続けることはできません。反発を受けて引き下がらざるを得ない状況においこまれれば、作品を発表しないのと同じ状況となってしまうため、自分の主張を表現し続けるためにも、反対活動をどのようにかわすのかの作戦を考えておくことは、自分の主張を世に問うための必要条件の一つです。強烈な反対が予想される場合には、最初の展示場で展示をやりきる方策だけでなく、最初の展示場がダメになったときに、二の矢三の矢を用意しておくぐらいのことはやっておく必要があります。
ところで、「表現の不自由展・その後」展の関係者には、どのような戦略があったのでしょうか? 展示内容を考えれば、相当過激な妨害活動も予想されるということは相当緻密な戦略が必要なようにも思われますが、傍目には緻密な戦略が見えてこないのはなぜでしょう?
4.誠実性
一つの芸術作品が展示されるだけで、伝えたいメッセージが明確に伝わるわけでもないので、反発が起これば、「何を訴えたいのか、なぜそのメッセージを訴える必要があるのか、そのメッセージが社会全体に伝わればどのようないいことがあるのか」を誠実に説明していくことが必要です。そして、何より反発する人にも言論の自由があるので、その権利を尊重する姿勢も必要です。反発する人にレッテルを貼って攻撃したり、コロス・リスト加えるなどと言うのは最低の対応です。
ところで、「表現の不自由展・その後」展の関係者からは、どのような説明があったのでしょうか? 大した説明がないのは、「本当は訴えたいことが何もないから」と考えていますが、いかがでしょうか?
◆「表現の不自由展・その後」の評価について
私の評価では、「1.大儀」については作品を作った人は「大儀がある」と思っていたように思うのですが、2~4については、ほぼ0点を付けざるをを得ないと考えています。
井上 孝之
プロフィール
1980年代の洋楽の世界では「BBCが放送中止にした」というのが最大のPRフレーズだったことを懐かしく思い出している技術系サラリーマン
この場合の「人を不快にする芸術」というのは、「美しいものをつくったつもりが、結果的に人を不快にしてしまうものになった」という意味ではなく、「意図的に人を不快にする要素を芸術作品に盛り込むことで、何らかのメッセージを伝えようとする作品」のことを指します。
1.大義
人に不快な思いをさせたり、反感を買ってまでも自分の芸術作品を展示するには、その不快感や反感を上回る大義が必要です。
「これまで目を背けていた事実に気が付いてほしい」、「これまで注目されてこなかったこの問題について考えてほしい」、「これまでと異なるものの見方をしてみませんか」等のアピールにより、一時的には不快になっても、結果的に世の中が良くなる方向に作用することが期待できる内容であることが必要です。これがなければ、単に人を不快にさせるだけで終わってしまいます。
ところで、「表現の不自由展・その後」展には、どんな大義があったのでしょうか?
2.信念
人を不快にさせる作品を人の目に触れるところに展示するのだから、当然、反発が起こります。中には展示を中止させようとする人も出てきます。
「人を不快にする作品」を展示させるためには、そのような反発に対してぶれない信念が必要です。反発が起こって、それに屈して安易に作品を取り下げてしまえば、「表現の自由があるはずなのに、反対運動が起これば、芸術家は世の中の反発に屈して作品を取り下げる」という悪い前例を作って、これから作品を発表しようとしている人の活動に悪影響を与えてしまいます。
ところで、「表現の不自由展・その後」展の関係者には、どのくらい強い信念があったのでしょうか? 本当に強い信念があれば、展示するスペースを自分たちで確保して、運営や警備の費用もクラウドファンディングか何かで集めれば、改めて作品を展示することは何とかなるように思われますが、それをやらない理由は何なのでしょうか?
3.戦略
見る人を不快にさせる作品を展示するのだから、それを見て不快に思った人は抗議の声を上げたり、様々な方法でその展示をやめさせようとします。その様々な妨害を予測して対策を講じておかなければ、その作品を展示し続けることはできません。反発を受けて引き下がらざるを得ない状況においこまれれば、作品を発表しないのと同じ状況となってしまうため、自分の主張を表現し続けるためにも、反対活動をどのようにかわすのかの作戦を考えておくことは、自分の主張を世に問うための必要条件の一つです。強烈な反対が予想される場合には、最初の展示場で展示をやりきる方策だけでなく、最初の展示場がダメになったときに、二の矢三の矢を用意しておくぐらいのことはやっておく必要があります。
ところで、「表現の不自由展・その後」展の関係者には、どのような戦略があったのでしょうか? 展示内容を考えれば、相当過激な妨害活動も予想されるということは相当緻密な戦略が必要なようにも思われますが、傍目には緻密な戦略が見えてこないのはなぜでしょう?
4.誠実性
一つの芸術作品が展示されるだけで、伝えたいメッセージが明確に伝わるわけでもないので、反発が起これば、「何を訴えたいのか、なぜそのメッセージを訴える必要があるのか、そのメッセージが社会全体に伝わればどのようないいことがあるのか」を誠実に説明していくことが必要です。そして、何より反発する人にも言論の自由があるので、その権利を尊重する姿勢も必要です。反発する人にレッテルを貼って攻撃したり、コロス・リスト加えるなどと言うのは最低の対応です。
ところで、「表現の不自由展・その後」展の関係者からは、どのような説明があったのでしょうか? 大した説明がないのは、「本当は訴えたいことが何もないから」と考えていますが、いかがでしょうか?
◆「表現の不自由展・その後」の評価について
私の評価では、「1.大儀」については作品を作った人は「大儀がある」と思っていたように思うのですが、2~4については、ほぼ0点を付けざるをを得ないと考えています。
井上 孝之
プロフィール
1980年代の洋楽の世界では「BBCが放送中止にした」というのが最大のPRフレーズだったことを懐かしく思い出している技術系サラリーマン
2019年7月30日火曜日
NHKの存在価値をどのように評価するか?
足立康史さんの記事「NHK改革を地上波にのせたN国党の功績」を読んで驚きました。今後も勢力を拡大して、様々な改革に取り組んでいこうという政党の議員としては、視野が狭すると思います。
NHKの問題は「見たくない人間は見ないのだから、金も払わなくていい」というレベルの低い問題ではないと考えています。
私は、NHKの根本的な論点は「NHKは公共放送なので、NHKを見ない人にとっても社会全体に及ぼす影響という観点では存在価値はある。その効果をどのように評価し、そのコストをどのように負担するのかというか」という点にあると考えていますが、そのような観点での議論が深まらないことに不満を感じています。NHKをスクランブル放送にしてしまうという意見は公共放送という観点が欠落していると思います。
私はNHKの存在は市営図書館に似ていると考えています。世の中には市営図書館を全く利用しないという人は大勢いますが、図書館があることによって、その地域の知的水準や文化水準が向上することによることのメリットは広くその地域に住む人に及ぶので、本を借りない人にとってもメリットがあり、広く市民から集められた税金で運用することが許容されているのだと思います。
NHKも同じで、公共放送として日本全体の知的水準や文化水準の向上が存在目的なので、テレビを持っている人は誰でも見ることが見ることができなければならないし、民放が視聴率の関係で放送できないような地味だけど国民が知っておくべき内容についても放送をする必要があると考えています。WOWOWのように映画や特定のスポーツに興味のある人だけ見ることができる放送とは根本的に存在意義が異なると考えているので、スクランブル放送にしてしまうということは解決策になりません。
NHKが市営図書館と異なるのは、「報道」という行政機関と距離を置かなければならない機能があるため、税金ではなく、受信料という方法で運用費用を賄うことにしている点にあるのですが、この点こそが時代の変化に伴って変化が求められている点であり、公共放送という観点からどのように変えていくのかを議論しなければならないと考えています。
私の意見は以前に投稿したとおり、NHKは税金で運用すべきということです。理由は、公共放送としての目的が「国民全体の知的水準や文化水準が向上」であることと、行政機関の政策が複雑さを増しているのに対して、民放の報道機関が過剰に反体制的で正しく政策を理解するための報道という点で問題があるためです。
かつて、太平洋戦争中に大本営発表が行われていたときは、NHKしか情報源がなくて、その唯一の情報源が嘘を報道していたことが問題だったのですが、今では、十分な数の民放があり、個人でもYouTubeで放送に相当する行為を行うことが可能となり、どの報道機関であっても問題のある報道を行えばネットで総ツッコミが起こる時代であれば、NHKが税金で運用されたとしても問題ないと考えています。
この点については、「そもそも公共放送はいらない」、「受信料に固執すべき」等の意見があると思うので、多様な意見が戦わされてもいいと思います。
さて、NHKが公共放送として期待されることとして以下の効果が挙げられます。たとえNHKを見ない人であっても、NHKがこのような放送を行っていれば、社会全体が良くなるという形でメリットを享受できます。
1.教養番組
実施することの効果は前述の図書館と同じと考えています。「コズミックフロント」や「英雄たちの選択」のようなクオリティの番組を民放で作ることは無理だと思います。
2.国や自治体の制度の理解向上
民放では視聴率の関係で敬遠される点ですが、社会制度が円滑に運用されるために必要なことです。このような地味でややこしい問題について分かり易い番組を作るためにはそれに特化した人材を育てる必要があり、民放にはできない課題であると思われます。
3.海外への情報発信
NHKの報道は正しいのかという問題はありますが、少なくとも欧米の報道機関がろくに取材もせず、いい加減な情報を発信している現状では、日本の報道機関が十分な取材のもとに適切な情報発信を行っていくことは重要な意味があると考えます。
3.健康番組
特定の病気になったときに関する情報番組は健康な人には関係ないのですが、その病気になると死活問題となるので、様々な病気について正しい情報を提供してくれる番組は重要なのですが、「きょうの健康」のような視聴率を取ることよりも正確な医学情報を提供することに特化した番組を作ることは民放ではできません。民放がやると「あるある大事典」のような末路にならざるを得ないと思います。
4.地方都市での放送
東京に住んでいれば民放の数は十分ありますが、地方都市ではそのようなことはありません。日本のどこに住んでいる人に対しても、適切な情報提供を行うことは重要なことであると考えています。
5.古典芸能
私もほとんど知識はありませんが、日曜日の夜に教育テレビで放送されています。私も見ることはありませんが、このような放送が行われていて、国民が古典芸能に触れる機会があることには意味があると思います。
最後に
私はNHKはよく見るので、今後も今のような放送内容を続けてもらいたいと考えていますが、NHKの存在について肯定的な記事を書くのが私しかいないというのは、NHKはそんなに必要とされていないということでしょうか?
井上 孝之
プロフィール
NHKの教養番組とテレビ東京の経済番組に加えて、最近は朝ドラも見るようになった技術系サラリーマン
NHKの問題は「見たくない人間は見ないのだから、金も払わなくていい」というレベルの低い問題ではないと考えています。
私は、NHKの根本的な論点は「NHKは公共放送なので、NHKを見ない人にとっても社会全体に及ぼす影響という観点では存在価値はある。その効果をどのように評価し、そのコストをどのように負担するのかというか」という点にあると考えていますが、そのような観点での議論が深まらないことに不満を感じています。NHKをスクランブル放送にしてしまうという意見は公共放送という観点が欠落していると思います。
私はNHKの存在は市営図書館に似ていると考えています。世の中には市営図書館を全く利用しないという人は大勢いますが、図書館があることによって、その地域の知的水準や文化水準が向上することによることのメリットは広くその地域に住む人に及ぶので、本を借りない人にとってもメリットがあり、広く市民から集められた税金で運用することが許容されているのだと思います。
NHKも同じで、公共放送として日本全体の知的水準や文化水準の向上が存在目的なので、テレビを持っている人は誰でも見ることが見ることができなければならないし、民放が視聴率の関係で放送できないような地味だけど国民が知っておくべき内容についても放送をする必要があると考えています。WOWOWのように映画や特定のスポーツに興味のある人だけ見ることができる放送とは根本的に存在意義が異なると考えているので、スクランブル放送にしてしまうということは解決策になりません。
NHKが市営図書館と異なるのは、「報道」という行政機関と距離を置かなければならない機能があるため、税金ではなく、受信料という方法で運用費用を賄うことにしている点にあるのですが、この点こそが時代の変化に伴って変化が求められている点であり、公共放送という観点からどのように変えていくのかを議論しなければならないと考えています。
私の意見は以前に投稿したとおり、NHKは税金で運用すべきということです。理由は、公共放送としての目的が「国民全体の知的水準や文化水準が向上」であることと、行政機関の政策が複雑さを増しているのに対して、民放の報道機関が過剰に反体制的で正しく政策を理解するための報道という点で問題があるためです。
かつて、太平洋戦争中に大本営発表が行われていたときは、NHKしか情報源がなくて、その唯一の情報源が嘘を報道していたことが問題だったのですが、今では、十分な数の民放があり、個人でもYouTubeで放送に相当する行為を行うことが可能となり、どの報道機関であっても問題のある報道を行えばネットで総ツッコミが起こる時代であれば、NHKが税金で運用されたとしても問題ないと考えています。
この点については、「そもそも公共放送はいらない」、「受信料に固執すべき」等の意見があると思うので、多様な意見が戦わされてもいいと思います。
さて、NHKが公共放送として期待されることとして以下の効果が挙げられます。たとえNHKを見ない人であっても、NHKがこのような放送を行っていれば、社会全体が良くなるという形でメリットを享受できます。
1.教養番組
実施することの効果は前述の図書館と同じと考えています。「コズミックフロント」や「英雄たちの選択」のようなクオリティの番組を民放で作ることは無理だと思います。
2.国や自治体の制度の理解向上
民放では視聴率の関係で敬遠される点ですが、社会制度が円滑に運用されるために必要なことです。このような地味でややこしい問題について分かり易い番組を作るためにはそれに特化した人材を育てる必要があり、民放にはできない課題であると思われます。
3.海外への情報発信
NHKの報道は正しいのかという問題はありますが、少なくとも欧米の報道機関がろくに取材もせず、いい加減な情報を発信している現状では、日本の報道機関が十分な取材のもとに適切な情報発信を行っていくことは重要な意味があると考えます。
3.健康番組
特定の病気になったときに関する情報番組は健康な人には関係ないのですが、その病気になると死活問題となるので、様々な病気について正しい情報を提供してくれる番組は重要なのですが、「きょうの健康」のような視聴率を取ることよりも正確な医学情報を提供することに特化した番組を作ることは民放ではできません。民放がやると「あるある大事典」のような末路にならざるを得ないと思います。
4.地方都市での放送
東京に住んでいれば民放の数は十分ありますが、地方都市ではそのようなことはありません。日本のどこに住んでいる人に対しても、適切な情報提供を行うことは重要なことであると考えています。
5.古典芸能
私もほとんど知識はありませんが、日曜日の夜に教育テレビで放送されています。私も見ることはありませんが、このような放送が行われていて、国民が古典芸能に触れる機会があることには意味があると思います。
最後に
私はNHKはよく見るので、今後も今のような放送内容を続けてもらいたいと考えていますが、NHKの存在について肯定的な記事を書くのが私しかいないというのは、NHKはそんなに必要とされていないということでしょうか?
井上 孝之
プロフィール
NHKの教養番組とテレビ東京の経済番組に加えて、最近は朝ドラも見るようになった技術系サラリーマン
2019年6月28日金曜日
日本の政治家を2つに分けるとすれば・・・
長島昭久さんが自民党に入党された。また、細野豪志さんも自民党への入党を目指しておられます。これを機に、日本の政治について思うところを記したいと思います。
私はかねがね日本の政治家を2つのグループに分けるとすると、それは右翼と左翼に分けるのではなく、「現実主義」と「空想主義」に分けることの方が適当だと考えています。「空想主義」はかつては「理想主義」だったのですが、その理想について多くの人が「実現する可能性もないし、たとえ実現しても人々を幸せにはしない」ということに気が付いて離れていった後も頑なに固執している人たちを称するには「空想主義」の方が適切だと考えるからです。
過去の歴史を遡ると下記のようになると考えています。以下に示す通り、いつの時代でも「とにかく現実的に対処する」という人と「たとえ実現しなくても理想を叫ぶ」という2種類の人たちが常にいるということは、日本人の思考パターンがそうなっているからと考えています。
1.冷戦終結まで
現実主義(とにかく政権の座にいる、資本主義、対米従属、日米安保)
理想主義(たとえ政権が取れなくても理想を叫ぶ、社会主義で平等で格差のない社会、非武装中立、護憲)
この当時は、「社会主義で平等で格差のない社会」も「非武装中立」も「遠い将来には実現される」と考えられていたので、「理想主義」の人たちも「高尚な理想を語る人たち」ということで尊敬されていました。一方、「現実主義」の人たちは「政権を取り続けるためなら汚いこともする人たち」ということで蔑まれていました。
2.冷戦終結から民主党政権崩壊まで
現実主義 自(公)政権以外は政権を担えない派
2大政党で政権交代は可能派(長島、細野、蓮舫)
空想主義 憲法9条を守れば戦争は起こらない派
社会主義が崩壊して、人々が「実現すべき理想ではない」ということに気が付いてからは、社会主義を掲げていた人たちは「現実主義/2大政党で政権交代は可能派」に転向しました。
この時代では、「2大政党で政権交代」は「いずれは実現できる」と考えられていたので、「現実主義」に属することになります。この結果、「現実主義」は「自公政権以外は政権を担えない派」と「2大政党で政権交代は可能派」の2つの派閥が存在し、「2大政党で政権交代は可能派」が徐々に勢力を伸ばして民主党政権につながったのだと思います。
これに対して、「空想主義」は「憲法9条を守れば戦争は起こらない派」だけが細々と存在していたことになります。
長島さん、細野さん、蓮舫さんは「現実主義/2大政党で政権交代は可能派」のなかで頭角を現してきた政治家ということになります。
3.民主党政権崩壊後
現実主義 自公政権以外は政権を担えない派のみ
空想主義 2大政党で政権交代は可能派
憲法9条を守れば戦争は起こらない派
(反原発・自然エネルギーで電力は賄える派も含む)
民主党政権が崩壊して、「2大政党で政権交代は可能」は空想であることが分かったので、「2大政党で政権交代は可能派」は空想主義陣営に属することとなり、現実主義の有権者の支持を失っていきます。
「2大政党で政権交代は可能派」を支持していた現実主義の有権者はさっさと「自公政権以外は政権を担えない派」に転向して、自民党に投票するようになりましたが、「2大政党で政権交代は可能」と叫んでいた政治家は簡単には転向できませんでした。
民主党政権が崩壊して7年が経ち、ようやく民主党政権の中枢にいた現実主義の長島さんや細野さんが転向することを口にできるようになったのだと思っています。また、中田宏さんのような非自民勢力で頑張っていた人も自民党から立候補するようになりました。
一方で、蓮舫さんは国籍問題での不手際から現実主義の有権者からの支持を取り付けられないと判断して、空想主義に転向することを選んだのだと考えています。
「2大政党で政権交代は可能」が空想である理由は、日本では「憲法9条改正反対、原発反対!」と叫べば、2~3割ぐらいの議席が取れるので、「2大政党で政権交代は可能」派の人たちが政権を取ろうと思えば、空想主義の人たちと組まざるを得ないからだと思っています。空想主義の人たちと組んだ状態で現実世界の問題に対処しようとしても、常に空中分解のリスクを抱えていることになるので、腰を据えて問題に対処することができないのだと思います。民主党政権がまさしくこの状態でした。
「2大政党で政権交代は可能」が「現実的」と思われるようになるためには、空想主義の人たちが取る議席が1割以下になって、なおかつ、有権者が「民主党政権の悪夢」を忘れることが必要なので、相当先になると思われます。
私はこの際、かつて民主党にいた現実主義の政治家の皆さん(前原さん、岡田さん、野田さん、安住さん・・・)は、過去のことは水に流して自民党に入ってくれた方が日本のためになると考えていますが、いかがでしょうか?(現実主義という観点ではつながっているのだから・・・)
井上 孝之
プロフィール
かつては、「現実主義/2大政党で政権交代は可能派」に属し、民主党政権崩壊後は「現実主義/自公政権以外は政権を担えない派」に転向した技術系サラリーマン
私はかねがね日本の政治家を2つのグループに分けるとすると、それは右翼と左翼に分けるのではなく、「現実主義」と「空想主義」に分けることの方が適当だと考えています。「空想主義」はかつては「理想主義」だったのですが、その理想について多くの人が「実現する可能性もないし、たとえ実現しても人々を幸せにはしない」ということに気が付いて離れていった後も頑なに固執している人たちを称するには「空想主義」の方が適切だと考えるからです。
過去の歴史を遡ると下記のようになると考えています。以下に示す通り、いつの時代でも「とにかく現実的に対処する」という人と「たとえ実現しなくても理想を叫ぶ」という2種類の人たちが常にいるということは、日本人の思考パターンがそうなっているからと考えています。
1.冷戦終結まで
現実主義(とにかく政権の座にいる、資本主義、対米従属、日米安保)
理想主義(たとえ政権が取れなくても理想を叫ぶ、社会主義で平等で格差のない社会、非武装中立、護憲)
この当時は、「社会主義で平等で格差のない社会」も「非武装中立」も「遠い将来には実現される」と考えられていたので、「理想主義」の人たちも「高尚な理想を語る人たち」ということで尊敬されていました。一方、「現実主義」の人たちは「政権を取り続けるためなら汚いこともする人たち」ということで蔑まれていました。
2.冷戦終結から民主党政権崩壊まで
現実主義 自(公)政権以外は政権を担えない派
2大政党で政権交代は可能派(長島、細野、蓮舫)
空想主義 憲法9条を守れば戦争は起こらない派
社会主義が崩壊して、人々が「実現すべき理想ではない」ということに気が付いてからは、社会主義を掲げていた人たちは「現実主義/2大政党で政権交代は可能派」に転向しました。
この時代では、「2大政党で政権交代」は「いずれは実現できる」と考えられていたので、「現実主義」に属することになります。この結果、「現実主義」は「自公政権以外は政権を担えない派」と「2大政党で政権交代は可能派」の2つの派閥が存在し、「2大政党で政権交代は可能派」が徐々に勢力を伸ばして民主党政権につながったのだと思います。
これに対して、「空想主義」は「憲法9条を守れば戦争は起こらない派」だけが細々と存在していたことになります。
長島さん、細野さん、蓮舫さんは「現実主義/2大政党で政権交代は可能派」のなかで頭角を現してきた政治家ということになります。
3.民主党政権崩壊後
現実主義 自公政権以外は政権を担えない派のみ
空想主義 2大政党で政権交代は可能派
憲法9条を守れば戦争は起こらない派
(反原発・自然エネルギーで電力は賄える派も含む)
民主党政権が崩壊して、「2大政党で政権交代は可能」は空想であることが分かったので、「2大政党で政権交代は可能派」は空想主義陣営に属することとなり、現実主義の有権者の支持を失っていきます。
「2大政党で政権交代は可能派」を支持していた現実主義の有権者はさっさと「自公政権以外は政権を担えない派」に転向して、自民党に投票するようになりましたが、「2大政党で政権交代は可能」と叫んでいた政治家は簡単には転向できませんでした。
民主党政権が崩壊して7年が経ち、ようやく民主党政権の中枢にいた現実主義の長島さんや細野さんが転向することを口にできるようになったのだと思っています。また、中田宏さんのような非自民勢力で頑張っていた人も自民党から立候補するようになりました。
一方で、蓮舫さんは国籍問題での不手際から現実主義の有権者からの支持を取り付けられないと判断して、空想主義に転向することを選んだのだと考えています。
「2大政党で政権交代は可能」が空想である理由は、日本では「憲法9条改正反対、原発反対!」と叫べば、2~3割ぐらいの議席が取れるので、「2大政党で政権交代は可能」派の人たちが政権を取ろうと思えば、空想主義の人たちと組まざるを得ないからだと思っています。空想主義の人たちと組んだ状態で現実世界の問題に対処しようとしても、常に空中分解のリスクを抱えていることになるので、腰を据えて問題に対処することができないのだと思います。民主党政権がまさしくこの状態でした。
「2大政党で政権交代は可能」が「現実的」と思われるようになるためには、空想主義の人たちが取る議席が1割以下になって、なおかつ、有権者が「民主党政権の悪夢」を忘れることが必要なので、相当先になると思われます。
私はこの際、かつて民主党にいた現実主義の政治家の皆さん(前原さん、岡田さん、野田さん、安住さん・・・)は、過去のことは水に流して自民党に入ってくれた方が日本のためになると考えていますが、いかがでしょうか?(現実主義という観点ではつながっているのだから・・・)
井上 孝之
プロフィール
かつては、「現実主義/2大政党で政権交代は可能派」に属し、民主党政権崩壊後は「現実主義/自公政権以外は政権を担えない派」に転向した技術系サラリーマン
2019年6月22日土曜日
犯罪者の親の責任について
中村仁さんの「拳銃強奪男の親の責任を考える」を読んで考えさせられました。私にも二人の息子がいます。
私が子供を育てた結論を言えば、「子は親の望んだ通りには育たない」ということになります。特に長男については、ものの考え方が私と対極的な人間になってしまいました。もし、子供が親の望んだ通りに育つのであれば、すべての子供が人格が優れたうえに、高学歴者、医者、スポーツか芸術で秀でた人のどれかになっているはずです。
そして、何より私自身もまた私の親の望んだ通りの人間にはなったかというとそうではありません。このようなことは世の中の多くの人が経験していることだと思います。
子供が親の望んだとおりに育った、あるいは、自分自身が親の望んだとおりの人間になったという人は世の中にどのくらいいるのでしょうか?
多くの人がこのような経験をしているのだから、子供が犯罪者になった場合の親の責任については、「親は子育てを通して、子供の人格形成に最も影響を及ぼすポジションにいたこと自体は事実なのだから、もし、子供が犯罪を犯せば、何の責任もないということもないが、また一方で、子供は親の望んだとおりには育たないことも事実なので、成人した子供が犯罪を犯した場合に、多少の批判は受けることがあるとしても責任ある現在の仕事を辞めるほどの責任を負う必要もない」というあたりが妥当な線のようにも思われますが、いかがでしょうか?
ただし、世論形成の中心となるマスコミは、「著名人や社会的地位の高い人の問題を見つけて、叩けば視聴率(売上げ)が伸びる」という構図のなかにいるので、人を叩く口実が減ることには消極的で、このような考えは受け入れないように思われます。
また、ネットも匿名アカウントで他人を批判することに快楽を感じる人の集合体という側面があるので(スマイリーキクチさんの例もある)、「人を叩かないようにする」という方向に意見が集約することも期待薄です。
今回の事件の父親は、自分がマスコミという「叩く側」にいて、その人間が「叩かれる側」に落ちるとフルボッコになることが分かっていたので、さっさとその地位から去ったようにも思われます。
犯罪者の親の責任について、あるべきところに意見を集約させる解決策として思いつくのは、多くの人が意見を発信してもらって、「意見を言いたい極端な考えの持ち主の意見」を薄めて、常識的なところに意見を集約させていくということを積み重ねていけば、「あるべき責任の取り方」の考え方が収斂していくのではないかと期待しています。
◆私の考える親の責任の取り方
私としては、「仕事は辞めなくていいから、語ってほしい」。どのように子供と接してきたのか、何か異変を感じる兆候はなかったのか、異変を感じたときどのように対応して誰に相談したのか、等々。一つ一つの事例は個別事情でも、集約していくと何か傾向が見えてくるかもしれないし、これから子育てをする人のヒントになるかもしれません。
また、今回の犯人が「心を患っていた」ということであれば、社会からのサポートという観点で何ができるのかの議論のきっかけになることも期待できると考えています。
井上 孝之
プロフィール
「子供の遺伝子の半分は自分と同じなのだから、子供はある程度は自分に似る」という思い込みが完全に間違いであったことにようやく気が付いた技術系サラリーマン
私が子供を育てた結論を言えば、「子は親の望んだ通りには育たない」ということになります。特に長男については、ものの考え方が私と対極的な人間になってしまいました。もし、子供が親の望んだ通りに育つのであれば、すべての子供が人格が優れたうえに、高学歴者、医者、スポーツか芸術で秀でた人のどれかになっているはずです。
そして、何より私自身もまた私の親の望んだ通りの人間にはなったかというとそうではありません。このようなことは世の中の多くの人が経験していることだと思います。
子供が親の望んだとおりに育った、あるいは、自分自身が親の望んだとおりの人間になったという人は世の中にどのくらいいるのでしょうか?
多くの人がこのような経験をしているのだから、子供が犯罪者になった場合の親の責任については、「親は子育てを通して、子供の人格形成に最も影響を及ぼすポジションにいたこと自体は事実なのだから、もし、子供が犯罪を犯せば、何の責任もないということもないが、また一方で、子供は親の望んだとおりには育たないことも事実なので、成人した子供が犯罪を犯した場合に、多少の批判は受けることがあるとしても責任ある現在の仕事を辞めるほどの責任を負う必要もない」というあたりが妥当な線のようにも思われますが、いかがでしょうか?
ただし、世論形成の中心となるマスコミは、「著名人や社会的地位の高い人の問題を見つけて、叩けば視聴率(売上げ)が伸びる」という構図のなかにいるので、人を叩く口実が減ることには消極的で、このような考えは受け入れないように思われます。
また、ネットも匿名アカウントで他人を批判することに快楽を感じる人の集合体という側面があるので(スマイリーキクチさんの例もある)、「人を叩かないようにする」という方向に意見が集約することも期待薄です。
今回の事件の父親は、自分がマスコミという「叩く側」にいて、その人間が「叩かれる側」に落ちるとフルボッコになることが分かっていたので、さっさとその地位から去ったようにも思われます。
犯罪者の親の責任について、あるべきところに意見を集約させる解決策として思いつくのは、多くの人が意見を発信してもらって、「意見を言いたい極端な考えの持ち主の意見」を薄めて、常識的なところに意見を集約させていくということを積み重ねていけば、「あるべき責任の取り方」の考え方が収斂していくのではないかと期待しています。
◆私の考える親の責任の取り方
私としては、「仕事は辞めなくていいから、語ってほしい」。どのように子供と接してきたのか、何か異変を感じる兆候はなかったのか、異変を感じたときどのように対応して誰に相談したのか、等々。一つ一つの事例は個別事情でも、集約していくと何か傾向が見えてくるかもしれないし、これから子育てをする人のヒントになるかもしれません。
また、今回の犯人が「心を患っていた」ということであれば、社会からのサポートという観点で何ができるのかの議論のきっかけになることも期待できると考えています。
井上 孝之
プロフィール
「子供の遺伝子の半分は自分と同じなのだから、子供はある程度は自分に似る」という思い込みが完全に間違いであったことにようやく気が付いた技術系サラリーマン
2019年6月18日火曜日
年金問題/スマホの料金体系とNHKの経営問題との共通点
私は4人家族(妻と二人の息子)で、私、妻、二男の3人は格安スマホの3人分パックを使っていて、利用料金は3人分で月に5000円(スマホ本体代金は含まない)です。これに対して、長男はi-Phoneが欲しいと言い張ったので、一人だけ大手キャリアで利用料金は一人で7000円(スマホ本体代金も含む)ぐらいです。
私は物好きなので、2年おきにキャリアを乗り換えの手続き(窓口で2時間ぐらい拘束されて長い説明を聞かされる)も苦にならず、乗換のたびに最新のi-Phoneを手に入れています。契約時に強制的に加入させられるオプションもきっちりと解除しているし、2年後の契約変更のタイミングもしっかりとメモしていますが、このような対応をやる人は世の中にはそうはいないと思います。
このような経験をもとに、「大手通信キャリアはなぜ高収益なのか?」という問いの答えを私なりに出すとすれば、「スマホのような生活必需品の料金体系を複雑にすれば、多くの消費者は思考停止に陥って、不満を抱えていても、高い料金を支払い続けているから」ということになります。
(これから制度変更が行われて、この方法は続けられないかもしれませんが・・・)
このことは年金制度でも同じことが言えると思います。つまり、「制度を複雑にすれば、多くの人は思考停止に陥る」ということです。
そして、このことは多くの人にとって都合がいいということになります。
1.官僚にとって
制度を正しく理解して批判してくる人は少ないので、見当違いな論点で批判してくる人がいても、「制度を正しく理解してから、批判してください」と言えば、批判をかわすことができます。
2.与党政治家にとって
支持者に「真面目に誠実に説明させていただきます」と言って、誠心誠意、難しいことを分かりやすく説明するふりをすれば、たとえ中身が理解されなくても、「よく分からないけど、できる範囲ことはやってくれている」というプラスの印象を与えることができます。
また、制度が分かりにくいということは、誰にとって損なのかがはっきり分からないので、誰からも好かれたい政治家にとっては好都合です。
3.野党政治家にとって
最初っから政権を取るつもりはないので、ピント外れなことを主張しても問題ありません。とにかく頭の悪い有権者を焚き付けて騒動を起こせば、「与党と闘っている」というスタンスをアピールすることができて、与党に投票するつもりがない人の票を固めることができます。
4.マスコミにとって
年金の問題が浮上するたびに、「政府が分かりやすく説明しないから多くの生活者は不安に陥っているのだ」と批判することができます。
また、池上彰さんのような詳しく解説する系の人は半年おきに年金の特集をやっても視聴率が取れます。ほとんどの人は半年前の年金の説明なんか覚えていないからです。
5.自営業者にとって
サラリーマンが支払った保険料を自分たちの年金として受け取ることができます。
6.サラリーマンにとって
本当は一番のカモにされているわけですが、牙を抜かれて戦う気力もありません。そもそも給料天引き分は最初から無かった金だと思っているので、気が付かないうちに給料天引き分が増えていたとしても、腹も立ちません。
「怒れよ、サラリーマン! こんな不理不尽な制度を許していいものか!」と立ち上がったところで、「お前ひとりで頑張れ。しょうもない運動に巻き込むな」と言われるのが関の山です。戦っても勝てない戦いに参加するぐらいなら、「給料天引き分のお金はもともと無かった」と思い込んで、気が付かないふりをした方がマシです。
ちなみに、私もサラリーマンの端くれですが、私にできる最大限の抵抗はアゴラに自分の意見を投稿することと、ふるさと納税を最大限に使うことぐらいです。
7.若者にとって
国民年金保険料を支払わないことが合理的な選択かどうかはともかく、今月の16,410円を支払わない自分を納得させるためには、「どうせ自分が受け取るころには年金は破綻している」という都市伝説を信じていられることが必要です。もし、はっきりと「支払わなければ損」ということが分かってしまうと、強い罪悪感を感じながら生きなければなりません。
8.年金を研究する研究者にとって
研究者にとっての最大の恐怖は問題が解決されえしまうことですが、年金の問題は永遠に解決されないので、年金の研究者として一生食っていけます。
一見すると理不尽に見える仕組みですが、その仕組みがずっと続いているのは、池田信夫さんがNHKの経営問題で指摘したことと同じで、「分解してみると、その仕組みの方が関係者全員にとって得だから」ということになります。
結局、全員にとって都合がいいので、将来に亘って何も変わらないということになります。
もし、変わるタイミングが来るとすると、カモにされているサラリーマンが我慢の限界に達して、「怒れよ、サラリーマン」という呼びかけに応える日ということになると思われますが、そもそもカモにされていることに気が付いていないのだから、その日は相当先に先になると思われます。
井上 孝之
プロフィール
いくらサラリーマンがカモにされているからといって、独立して自営業者になる勇気のない技術系サラリーマン。内藤忍さんや城繁幸さんがうらやましい。
私は物好きなので、2年おきにキャリアを乗り換えの手続き(窓口で2時間ぐらい拘束されて長い説明を聞かされる)も苦にならず、乗換のたびに最新のi-Phoneを手に入れています。契約時に強制的に加入させられるオプションもきっちりと解除しているし、2年後の契約変更のタイミングもしっかりとメモしていますが、このような対応をやる人は世の中にはそうはいないと思います。
このような経験をもとに、「大手通信キャリアはなぜ高収益なのか?」という問いの答えを私なりに出すとすれば、「スマホのような生活必需品の料金体系を複雑にすれば、多くの消費者は思考停止に陥って、不満を抱えていても、高い料金を支払い続けているから」ということになります。
(これから制度変更が行われて、この方法は続けられないかもしれませんが・・・)
このことは年金制度でも同じことが言えると思います。つまり、「制度を複雑にすれば、多くの人は思考停止に陥る」ということです。
そして、このことは多くの人にとって都合がいいということになります。
1.官僚にとって
制度を正しく理解して批判してくる人は少ないので、見当違いな論点で批判してくる人がいても、「制度を正しく理解してから、批判してください」と言えば、批判をかわすことができます。
2.与党政治家にとって
支持者に「真面目に誠実に説明させていただきます」と言って、誠心誠意、難しいことを分かりやすく説明するふりをすれば、たとえ中身が理解されなくても、「よく分からないけど、できる範囲ことはやってくれている」というプラスの印象を与えることができます。
また、制度が分かりにくいということは、誰にとって損なのかがはっきり分からないので、誰からも好かれたい政治家にとっては好都合です。
3.野党政治家にとって
最初っから政権を取るつもりはないので、ピント外れなことを主張しても問題ありません。とにかく頭の悪い有権者を焚き付けて騒動を起こせば、「与党と闘っている」というスタンスをアピールすることができて、与党に投票するつもりがない人の票を固めることができます。
4.マスコミにとって
年金の問題が浮上するたびに、「政府が分かりやすく説明しないから多くの生活者は不安に陥っているのだ」と批判することができます。
また、池上彰さんのような詳しく解説する系の人は半年おきに年金の特集をやっても視聴率が取れます。ほとんどの人は半年前の年金の説明なんか覚えていないからです。
5.自営業者にとって
サラリーマンが支払った保険料を自分たちの年金として受け取ることができます。
6.サラリーマンにとって
本当は一番のカモにされているわけですが、牙を抜かれて戦う気力もありません。そもそも給料天引き分は最初から無かった金だと思っているので、気が付かないうちに給料天引き分が増えていたとしても、腹も立ちません。
「怒れよ、サラリーマン! こんな不理不尽な制度を許していいものか!」と立ち上がったところで、「お前ひとりで頑張れ。しょうもない運動に巻き込むな」と言われるのが関の山です。戦っても勝てない戦いに参加するぐらいなら、「給料天引き分のお金はもともと無かった」と思い込んで、気が付かないふりをした方がマシです。
ちなみに、私もサラリーマンの端くれですが、私にできる最大限の抵抗はアゴラに自分の意見を投稿することと、ふるさと納税を最大限に使うことぐらいです。
7.若者にとって
国民年金保険料を支払わないことが合理的な選択かどうかはともかく、今月の16,410円を支払わない自分を納得させるためには、「どうせ自分が受け取るころには年金は破綻している」という都市伝説を信じていられることが必要です。もし、はっきりと「支払わなければ損」ということが分かってしまうと、強い罪悪感を感じながら生きなければなりません。
8.年金を研究する研究者にとって
研究者にとっての最大の恐怖は問題が解決されえしまうことですが、年金の問題は永遠に解決されないので、年金の研究者として一生食っていけます。
一見すると理不尽に見える仕組みですが、その仕組みがずっと続いているのは、池田信夫さんがNHKの経営問題で指摘したことと同じで、「分解してみると、その仕組みの方が関係者全員にとって得だから」ということになります。
結局、全員にとって都合がいいので、将来に亘って何も変わらないということになります。
もし、変わるタイミングが来るとすると、カモにされているサラリーマンが我慢の限界に達して、「怒れよ、サラリーマン」という呼びかけに応える日ということになると思われますが、そもそもカモにされていることに気が付いていないのだから、その日は相当先に先になると思われます。
井上 孝之
プロフィール
いくらサラリーマンがカモにされているからといって、独立して自営業者になる勇気のない技術系サラリーマン。内藤忍さんや城繁幸さんがうらやましい。
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