国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になったことを受けて、「人を不快にする芸術」が満たすべき条件について考えてみました。
この場合の「人を不快にする芸術」というのは、「美しいものをつくったつもりが、結果的に人を不快にしてしまうものになった」という意味ではなく、「意図的に人を不快にする要素を芸術作品に盛り込むことで、何らかのメッセージを伝えようとする作品」のことを指します。
1.大義
人に不快な思いをさせたり、反感を買ってまでも自分の芸術作品を展示するには、その不快感や反感を上回る大義が必要です。
「これまで目を背けていた事実に気が付いてほしい」、「これまで注目されてこなかったこの問題について考えてほしい」、「これまでと異なるものの見方をしてみませんか」等のアピールにより、一時的には不快になっても、結果的に世の中が良くなる方向に作用することが期待できる内容であることが必要です。これがなければ、単に人を不快にさせるだけで終わってしまいます。
ところで、「表現の不自由展・その後」展には、どんな大義があったのでしょうか?
2.信念
人を不快にさせる作品を人の目に触れるところに展示するのだから、当然、反発が起こります。中には展示を中止させようとする人も出てきます。
「人を不快にする作品」を展示させるためには、そのような反発に対してぶれない信念が必要です。反発が起こって、それに屈して安易に作品を取り下げてしまえば、「表現の自由があるはずなのに、反対運動が起これば、芸術家は世の中の反発に屈して作品を取り下げる」という悪い前例を作って、これから作品を発表しようとしている人の活動に悪影響を与えてしまいます。
ところで、「表現の不自由展・その後」展の関係者には、どのくらい強い信念があったのでしょうか? 本当に強い信念があれば、展示するスペースを自分たちで確保して、運営や警備の費用もクラウドファンディングか何かで集めれば、改めて作品を展示することは何とかなるように思われますが、それをやらない理由は何なのでしょうか?
3.戦略
見る人を不快にさせる作品を展示するのだから、それを見て不快に思った人は抗議の声を上げたり、様々な方法でその展示をやめさせようとします。その様々な妨害を予測して対策を講じておかなければ、その作品を展示し続けることはできません。反発を受けて引き下がらざるを得ない状況においこまれれば、作品を発表しないのと同じ状況となってしまうため、自分の主張を表現し続けるためにも、反対活動をどのようにかわすのかの作戦を考えておくことは、自分の主張を世に問うための必要条件の一つです。強烈な反対が予想される場合には、最初の展示場で展示をやりきる方策だけでなく、最初の展示場がダメになったときに、二の矢三の矢を用意しておくぐらいのことはやっておく必要があります。
ところで、「表現の不自由展・その後」展の関係者には、どのような戦略があったのでしょうか? 展示内容を考えれば、相当過激な妨害活動も予想されるということは相当緻密な戦略が必要なようにも思われますが、傍目には緻密な戦略が見えてこないのはなぜでしょう?
4.誠実性
一つの芸術作品が展示されるだけで、伝えたいメッセージが明確に伝わるわけでもないので、反発が起これば、「何を訴えたいのか、なぜそのメッセージを訴える必要があるのか、そのメッセージが社会全体に伝わればどのようないいことがあるのか」を誠実に説明していくことが必要です。そして、何より反発する人にも言論の自由があるので、その権利を尊重する姿勢も必要です。反発する人にレッテルを貼って攻撃したり、コロス・リスト加えるなどと言うのは最低の対応です。
ところで、「表現の不自由展・その後」展の関係者からは、どのような説明があったのでしょうか? 大した説明がないのは、「本当は訴えたいことが何もないから」と考えていますが、いかがでしょうか?
◆「表現の不自由展・その後」の評価について
私の評価では、「1.大儀」については作品を作った人は「大儀がある」と思っていたように思うのですが、2~4については、ほぼ0点を付けざるをを得ないと考えています。
井上 孝之
プロフィール
1980年代の洋楽の世界では「BBCが放送中止にした」というのが最大のPRフレーズだったことを懐かしく思い出している技術系サラリーマン
2019年8月14日水曜日
2019年7月30日火曜日
NHKの存在価値をどのように評価するか?
足立康史さんの記事「NHK改革を地上波にのせたN国党の功績」を読んで驚きました。今後も勢力を拡大して、様々な改革に取り組んでいこうという政党の議員としては、視野が狭すると思います。
NHKの問題は「見たくない人間は見ないのだから、金も払わなくていい」というレベルの低い問題ではないと考えています。
私は、NHKの根本的な論点は「NHKは公共放送なので、NHKを見ない人にとっても社会全体に及ぼす影響という観点では存在価値はある。その効果をどのように評価し、そのコストをどのように負担するのかというか」という点にあると考えていますが、そのような観点での議論が深まらないことに不満を感じています。NHKをスクランブル放送にしてしまうという意見は公共放送という観点が欠落していると思います。
私はNHKの存在は市営図書館に似ていると考えています。世の中には市営図書館を全く利用しないという人は大勢いますが、図書館があることによって、その地域の知的水準や文化水準が向上することによることのメリットは広くその地域に住む人に及ぶので、本を借りない人にとってもメリットがあり、広く市民から集められた税金で運用することが許容されているのだと思います。
NHKも同じで、公共放送として日本全体の知的水準や文化水準の向上が存在目的なので、テレビを持っている人は誰でも見ることが見ることができなければならないし、民放が視聴率の関係で放送できないような地味だけど国民が知っておくべき内容についても放送をする必要があると考えています。WOWOWのように映画や特定のスポーツに興味のある人だけ見ることができる放送とは根本的に存在意義が異なると考えているので、スクランブル放送にしてしまうということは解決策になりません。
NHKが市営図書館と異なるのは、「報道」という行政機関と距離を置かなければならない機能があるため、税金ではなく、受信料という方法で運用費用を賄うことにしている点にあるのですが、この点こそが時代の変化に伴って変化が求められている点であり、公共放送という観点からどのように変えていくのかを議論しなければならないと考えています。
私の意見は以前に投稿したとおり、NHKは税金で運用すべきということです。理由は、公共放送としての目的が「国民全体の知的水準や文化水準が向上」であることと、行政機関の政策が複雑さを増しているのに対して、民放の報道機関が過剰に反体制的で正しく政策を理解するための報道という点で問題があるためです。
かつて、太平洋戦争中に大本営発表が行われていたときは、NHKしか情報源がなくて、その唯一の情報源が嘘を報道していたことが問題だったのですが、今では、十分な数の民放があり、個人でもYouTubeで放送に相当する行為を行うことが可能となり、どの報道機関であっても問題のある報道を行えばネットで総ツッコミが起こる時代であれば、NHKが税金で運用されたとしても問題ないと考えています。
この点については、「そもそも公共放送はいらない」、「受信料に固執すべき」等の意見があると思うので、多様な意見が戦わされてもいいと思います。
さて、NHKが公共放送として期待されることとして以下の効果が挙げられます。たとえNHKを見ない人であっても、NHKがこのような放送を行っていれば、社会全体が良くなるという形でメリットを享受できます。
1.教養番組
実施することの効果は前述の図書館と同じと考えています。「コズミックフロント」や「英雄たちの選択」のようなクオリティの番組を民放で作ることは無理だと思います。
2.国や自治体の制度の理解向上
民放では視聴率の関係で敬遠される点ですが、社会制度が円滑に運用されるために必要なことです。このような地味でややこしい問題について分かり易い番組を作るためにはそれに特化した人材を育てる必要があり、民放にはできない課題であると思われます。
3.海外への情報発信
NHKの報道は正しいのかという問題はありますが、少なくとも欧米の報道機関がろくに取材もせず、いい加減な情報を発信している現状では、日本の報道機関が十分な取材のもとに適切な情報発信を行っていくことは重要な意味があると考えます。
3.健康番組
特定の病気になったときに関する情報番組は健康な人には関係ないのですが、その病気になると死活問題となるので、様々な病気について正しい情報を提供してくれる番組は重要なのですが、「きょうの健康」のような視聴率を取ることよりも正確な医学情報を提供することに特化した番組を作ることは民放ではできません。民放がやると「あるある大事典」のような末路にならざるを得ないと思います。
4.地方都市での放送
東京に住んでいれば民放の数は十分ありますが、地方都市ではそのようなことはありません。日本のどこに住んでいる人に対しても、適切な情報提供を行うことは重要なことであると考えています。
5.古典芸能
私もほとんど知識はありませんが、日曜日の夜に教育テレビで放送されています。私も見ることはありませんが、このような放送が行われていて、国民が古典芸能に触れる機会があることには意味があると思います。
最後に
私はNHKはよく見るので、今後も今のような放送内容を続けてもらいたいと考えていますが、NHKの存在について肯定的な記事を書くのが私しかいないというのは、NHKはそんなに必要とされていないということでしょうか?
井上 孝之
プロフィール
NHKの教養番組とテレビ東京の経済番組に加えて、最近は朝ドラも見るようになった技術系サラリーマン
NHKの問題は「見たくない人間は見ないのだから、金も払わなくていい」というレベルの低い問題ではないと考えています。
私は、NHKの根本的な論点は「NHKは公共放送なので、NHKを見ない人にとっても社会全体に及ぼす影響という観点では存在価値はある。その効果をどのように評価し、そのコストをどのように負担するのかというか」という点にあると考えていますが、そのような観点での議論が深まらないことに不満を感じています。NHKをスクランブル放送にしてしまうという意見は公共放送という観点が欠落していると思います。
私はNHKの存在は市営図書館に似ていると考えています。世の中には市営図書館を全く利用しないという人は大勢いますが、図書館があることによって、その地域の知的水準や文化水準が向上することによることのメリットは広くその地域に住む人に及ぶので、本を借りない人にとってもメリットがあり、広く市民から集められた税金で運用することが許容されているのだと思います。
NHKも同じで、公共放送として日本全体の知的水準や文化水準の向上が存在目的なので、テレビを持っている人は誰でも見ることが見ることができなければならないし、民放が視聴率の関係で放送できないような地味だけど国民が知っておくべき内容についても放送をする必要があると考えています。WOWOWのように映画や特定のスポーツに興味のある人だけ見ることができる放送とは根本的に存在意義が異なると考えているので、スクランブル放送にしてしまうということは解決策になりません。
NHKが市営図書館と異なるのは、「報道」という行政機関と距離を置かなければならない機能があるため、税金ではなく、受信料という方法で運用費用を賄うことにしている点にあるのですが、この点こそが時代の変化に伴って変化が求められている点であり、公共放送という観点からどのように変えていくのかを議論しなければならないと考えています。
私の意見は以前に投稿したとおり、NHKは税金で運用すべきということです。理由は、公共放送としての目的が「国民全体の知的水準や文化水準が向上」であることと、行政機関の政策が複雑さを増しているのに対して、民放の報道機関が過剰に反体制的で正しく政策を理解するための報道という点で問題があるためです。
かつて、太平洋戦争中に大本営発表が行われていたときは、NHKしか情報源がなくて、その唯一の情報源が嘘を報道していたことが問題だったのですが、今では、十分な数の民放があり、個人でもYouTubeで放送に相当する行為を行うことが可能となり、どの報道機関であっても問題のある報道を行えばネットで総ツッコミが起こる時代であれば、NHKが税金で運用されたとしても問題ないと考えています。
この点については、「そもそも公共放送はいらない」、「受信料に固執すべき」等の意見があると思うので、多様な意見が戦わされてもいいと思います。
さて、NHKが公共放送として期待されることとして以下の効果が挙げられます。たとえNHKを見ない人であっても、NHKがこのような放送を行っていれば、社会全体が良くなるという形でメリットを享受できます。
1.教養番組
実施することの効果は前述の図書館と同じと考えています。「コズミックフロント」や「英雄たちの選択」のようなクオリティの番組を民放で作ることは無理だと思います。
2.国や自治体の制度の理解向上
民放では視聴率の関係で敬遠される点ですが、社会制度が円滑に運用されるために必要なことです。このような地味でややこしい問題について分かり易い番組を作るためにはそれに特化した人材を育てる必要があり、民放にはできない課題であると思われます。
3.海外への情報発信
NHKの報道は正しいのかという問題はありますが、少なくとも欧米の報道機関がろくに取材もせず、いい加減な情報を発信している現状では、日本の報道機関が十分な取材のもとに適切な情報発信を行っていくことは重要な意味があると考えます。
3.健康番組
特定の病気になったときに関する情報番組は健康な人には関係ないのですが、その病気になると死活問題となるので、様々な病気について正しい情報を提供してくれる番組は重要なのですが、「きょうの健康」のような視聴率を取ることよりも正確な医学情報を提供することに特化した番組を作ることは民放ではできません。民放がやると「あるある大事典」のような末路にならざるを得ないと思います。
4.地方都市での放送
東京に住んでいれば民放の数は十分ありますが、地方都市ではそのようなことはありません。日本のどこに住んでいる人に対しても、適切な情報提供を行うことは重要なことであると考えています。
5.古典芸能
私もほとんど知識はありませんが、日曜日の夜に教育テレビで放送されています。私も見ることはありませんが、このような放送が行われていて、国民が古典芸能に触れる機会があることには意味があると思います。
最後に
私はNHKはよく見るので、今後も今のような放送内容を続けてもらいたいと考えていますが、NHKの存在について肯定的な記事を書くのが私しかいないというのは、NHKはそんなに必要とされていないということでしょうか?
井上 孝之
プロフィール
NHKの教養番組とテレビ東京の経済番組に加えて、最近は朝ドラも見るようになった技術系サラリーマン
2019年6月28日金曜日
日本の政治家を2つに分けるとすれば・・・
長島昭久さんが自民党に入党された。また、細野豪志さんも自民党への入党を目指しておられます。これを機に、日本の政治について思うところを記したいと思います。
私はかねがね日本の政治家を2つのグループに分けるとすると、それは右翼と左翼に分けるのではなく、「現実主義」と「空想主義」に分けることの方が適当だと考えています。「空想主義」はかつては「理想主義」だったのですが、その理想について多くの人が「実現する可能性もないし、たとえ実現しても人々を幸せにはしない」ということに気が付いて離れていった後も頑なに固執している人たちを称するには「空想主義」の方が適切だと考えるからです。
過去の歴史を遡ると下記のようになると考えています。以下に示す通り、いつの時代でも「とにかく現実的に対処する」という人と「たとえ実現しなくても理想を叫ぶ」という2種類の人たちが常にいるということは、日本人の思考パターンがそうなっているからと考えています。
1.冷戦終結まで
現実主義(とにかく政権の座にいる、資本主義、対米従属、日米安保)
理想主義(たとえ政権が取れなくても理想を叫ぶ、社会主義で平等で格差のない社会、非武装中立、護憲)
この当時は、「社会主義で平等で格差のない社会」も「非武装中立」も「遠い将来には実現される」と考えられていたので、「理想主義」の人たちも「高尚な理想を語る人たち」ということで尊敬されていました。一方、「現実主義」の人たちは「政権を取り続けるためなら汚いこともする人たち」ということで蔑まれていました。
2.冷戦終結から民主党政権崩壊まで
現実主義 自(公)政権以外は政権を担えない派
2大政党で政権交代は可能派(長島、細野、蓮舫)
空想主義 憲法9条を守れば戦争は起こらない派
社会主義が崩壊して、人々が「実現すべき理想ではない」ということに気が付いてからは、社会主義を掲げていた人たちは「現実主義/2大政党で政権交代は可能派」に転向しました。
この時代では、「2大政党で政権交代」は「いずれは実現できる」と考えられていたので、「現実主義」に属することになります。この結果、「現実主義」は「自公政権以外は政権を担えない派」と「2大政党で政権交代は可能派」の2つの派閥が存在し、「2大政党で政権交代は可能派」が徐々に勢力を伸ばして民主党政権につながったのだと思います。
これに対して、「空想主義」は「憲法9条を守れば戦争は起こらない派」だけが細々と存在していたことになります。
長島さん、細野さん、蓮舫さんは「現実主義/2大政党で政権交代は可能派」のなかで頭角を現してきた政治家ということになります。
3.民主党政権崩壊後
現実主義 自公政権以外は政権を担えない派のみ
空想主義 2大政党で政権交代は可能派
憲法9条を守れば戦争は起こらない派
(反原発・自然エネルギーで電力は賄える派も含む)
民主党政権が崩壊して、「2大政党で政権交代は可能」は空想であることが分かったので、「2大政党で政権交代は可能派」は空想主義陣営に属することとなり、現実主義の有権者の支持を失っていきます。
「2大政党で政権交代は可能派」を支持していた現実主義の有権者はさっさと「自公政権以外は政権を担えない派」に転向して、自民党に投票するようになりましたが、「2大政党で政権交代は可能」と叫んでいた政治家は簡単には転向できませんでした。
民主党政権が崩壊して7年が経ち、ようやく民主党政権の中枢にいた現実主義の長島さんや細野さんが転向することを口にできるようになったのだと思っています。また、中田宏さんのような非自民勢力で頑張っていた人も自民党から立候補するようになりました。
一方で、蓮舫さんは国籍問題での不手際から現実主義の有権者からの支持を取り付けられないと判断して、空想主義に転向することを選んだのだと考えています。
「2大政党で政権交代は可能」が空想である理由は、日本では「憲法9条改正反対、原発反対!」と叫べば、2~3割ぐらいの議席が取れるので、「2大政党で政権交代は可能」派の人たちが政権を取ろうと思えば、空想主義の人たちと組まざるを得ないからだと思っています。空想主義の人たちと組んだ状態で現実世界の問題に対処しようとしても、常に空中分解のリスクを抱えていることになるので、腰を据えて問題に対処することができないのだと思います。民主党政権がまさしくこの状態でした。
「2大政党で政権交代は可能」が「現実的」と思われるようになるためには、空想主義の人たちが取る議席が1割以下になって、なおかつ、有権者が「民主党政権の悪夢」を忘れることが必要なので、相当先になると思われます。
私はこの際、かつて民主党にいた現実主義の政治家の皆さん(前原さん、岡田さん、野田さん、安住さん・・・)は、過去のことは水に流して自民党に入ってくれた方が日本のためになると考えていますが、いかがでしょうか?(現実主義という観点ではつながっているのだから・・・)
井上 孝之
プロフィール
かつては、「現実主義/2大政党で政権交代は可能派」に属し、民主党政権崩壊後は「現実主義/自公政権以外は政権を担えない派」に転向した技術系サラリーマン
私はかねがね日本の政治家を2つのグループに分けるとすると、それは右翼と左翼に分けるのではなく、「現実主義」と「空想主義」に分けることの方が適当だと考えています。「空想主義」はかつては「理想主義」だったのですが、その理想について多くの人が「実現する可能性もないし、たとえ実現しても人々を幸せにはしない」ということに気が付いて離れていった後も頑なに固執している人たちを称するには「空想主義」の方が適切だと考えるからです。
過去の歴史を遡ると下記のようになると考えています。以下に示す通り、いつの時代でも「とにかく現実的に対処する」という人と「たとえ実現しなくても理想を叫ぶ」という2種類の人たちが常にいるということは、日本人の思考パターンがそうなっているからと考えています。
1.冷戦終結まで
現実主義(とにかく政権の座にいる、資本主義、対米従属、日米安保)
理想主義(たとえ政権が取れなくても理想を叫ぶ、社会主義で平等で格差のない社会、非武装中立、護憲)
この当時は、「社会主義で平等で格差のない社会」も「非武装中立」も「遠い将来には実現される」と考えられていたので、「理想主義」の人たちも「高尚な理想を語る人たち」ということで尊敬されていました。一方、「現実主義」の人たちは「政権を取り続けるためなら汚いこともする人たち」ということで蔑まれていました。
2.冷戦終結から民主党政権崩壊まで
現実主義 自(公)政権以外は政権を担えない派
2大政党で政権交代は可能派(長島、細野、蓮舫)
空想主義 憲法9条を守れば戦争は起こらない派
社会主義が崩壊して、人々が「実現すべき理想ではない」ということに気が付いてからは、社会主義を掲げていた人たちは「現実主義/2大政党で政権交代は可能派」に転向しました。
この時代では、「2大政党で政権交代」は「いずれは実現できる」と考えられていたので、「現実主義」に属することになります。この結果、「現実主義」は「自公政権以外は政権を担えない派」と「2大政党で政権交代は可能派」の2つの派閥が存在し、「2大政党で政権交代は可能派」が徐々に勢力を伸ばして民主党政権につながったのだと思います。
これに対して、「空想主義」は「憲法9条を守れば戦争は起こらない派」だけが細々と存在していたことになります。
長島さん、細野さん、蓮舫さんは「現実主義/2大政党で政権交代は可能派」のなかで頭角を現してきた政治家ということになります。
3.民主党政権崩壊後
現実主義 自公政権以外は政権を担えない派のみ
空想主義 2大政党で政権交代は可能派
憲法9条を守れば戦争は起こらない派
(反原発・自然エネルギーで電力は賄える派も含む)
民主党政権が崩壊して、「2大政党で政権交代は可能」は空想であることが分かったので、「2大政党で政権交代は可能派」は空想主義陣営に属することとなり、現実主義の有権者の支持を失っていきます。
「2大政党で政権交代は可能派」を支持していた現実主義の有権者はさっさと「自公政権以外は政権を担えない派」に転向して、自民党に投票するようになりましたが、「2大政党で政権交代は可能」と叫んでいた政治家は簡単には転向できませんでした。
民主党政権が崩壊して7年が経ち、ようやく民主党政権の中枢にいた現実主義の長島さんや細野さんが転向することを口にできるようになったのだと思っています。また、中田宏さんのような非自民勢力で頑張っていた人も自民党から立候補するようになりました。
一方で、蓮舫さんは国籍問題での不手際から現実主義の有権者からの支持を取り付けられないと判断して、空想主義に転向することを選んだのだと考えています。
「2大政党で政権交代は可能」が空想である理由は、日本では「憲法9条改正反対、原発反対!」と叫べば、2~3割ぐらいの議席が取れるので、「2大政党で政権交代は可能」派の人たちが政権を取ろうと思えば、空想主義の人たちと組まざるを得ないからだと思っています。空想主義の人たちと組んだ状態で現実世界の問題に対処しようとしても、常に空中分解のリスクを抱えていることになるので、腰を据えて問題に対処することができないのだと思います。民主党政権がまさしくこの状態でした。
「2大政党で政権交代は可能」が「現実的」と思われるようになるためには、空想主義の人たちが取る議席が1割以下になって、なおかつ、有権者が「民主党政権の悪夢」を忘れることが必要なので、相当先になると思われます。
私はこの際、かつて民主党にいた現実主義の政治家の皆さん(前原さん、岡田さん、野田さん、安住さん・・・)は、過去のことは水に流して自民党に入ってくれた方が日本のためになると考えていますが、いかがでしょうか?(現実主義という観点ではつながっているのだから・・・)
井上 孝之
プロフィール
かつては、「現実主義/2大政党で政権交代は可能派」に属し、民主党政権崩壊後は「現実主義/自公政権以外は政権を担えない派」に転向した技術系サラリーマン
2019年6月22日土曜日
犯罪者の親の責任について
中村仁さんの「拳銃強奪男の親の責任を考える」を読んで考えさせられました。私にも二人の息子がいます。
私が子供を育てた結論を言えば、「子は親の望んだ通りには育たない」ということになります。特に長男については、ものの考え方が私と対極的な人間になってしまいました。もし、子供が親の望んだ通りに育つのであれば、すべての子供が人格が優れたうえに、高学歴者、医者、スポーツか芸術で秀でた人のどれかになっているはずです。
そして、何より私自身もまた私の親の望んだ通りの人間にはなったかというとそうではありません。このようなことは世の中の多くの人が経験していることだと思います。
子供が親の望んだとおりに育った、あるいは、自分自身が親の望んだとおりの人間になったという人は世の中にどのくらいいるのでしょうか?
多くの人がこのような経験をしているのだから、子供が犯罪者になった場合の親の責任については、「親は子育てを通して、子供の人格形成に最も影響を及ぼすポジションにいたこと自体は事実なのだから、もし、子供が犯罪を犯せば、何の責任もないということもないが、また一方で、子供は親の望んだとおりには育たないことも事実なので、成人した子供が犯罪を犯した場合に、多少の批判は受けることがあるとしても責任ある現在の仕事を辞めるほどの責任を負う必要もない」というあたりが妥当な線のようにも思われますが、いかがでしょうか?
ただし、世論形成の中心となるマスコミは、「著名人や社会的地位の高い人の問題を見つけて、叩けば視聴率(売上げ)が伸びる」という構図のなかにいるので、人を叩く口実が減ることには消極的で、このような考えは受け入れないように思われます。
また、ネットも匿名アカウントで他人を批判することに快楽を感じる人の集合体という側面があるので(スマイリーキクチさんの例もある)、「人を叩かないようにする」という方向に意見が集約することも期待薄です。
今回の事件の父親は、自分がマスコミという「叩く側」にいて、その人間が「叩かれる側」に落ちるとフルボッコになることが分かっていたので、さっさとその地位から去ったようにも思われます。
犯罪者の親の責任について、あるべきところに意見を集約させる解決策として思いつくのは、多くの人が意見を発信してもらって、「意見を言いたい極端な考えの持ち主の意見」を薄めて、常識的なところに意見を集約させていくということを積み重ねていけば、「あるべき責任の取り方」の考え方が収斂していくのではないかと期待しています。
◆私の考える親の責任の取り方
私としては、「仕事は辞めなくていいから、語ってほしい」。どのように子供と接してきたのか、何か異変を感じる兆候はなかったのか、異変を感じたときどのように対応して誰に相談したのか、等々。一つ一つの事例は個別事情でも、集約していくと何か傾向が見えてくるかもしれないし、これから子育てをする人のヒントになるかもしれません。
また、今回の犯人が「心を患っていた」ということであれば、社会からのサポートという観点で何ができるのかの議論のきっかけになることも期待できると考えています。
井上 孝之
プロフィール
「子供の遺伝子の半分は自分と同じなのだから、子供はある程度は自分に似る」という思い込みが完全に間違いであったことにようやく気が付いた技術系サラリーマン
私が子供を育てた結論を言えば、「子は親の望んだ通りには育たない」ということになります。特に長男については、ものの考え方が私と対極的な人間になってしまいました。もし、子供が親の望んだ通りに育つのであれば、すべての子供が人格が優れたうえに、高学歴者、医者、スポーツか芸術で秀でた人のどれかになっているはずです。
そして、何より私自身もまた私の親の望んだ通りの人間にはなったかというとそうではありません。このようなことは世の中の多くの人が経験していることだと思います。
子供が親の望んだとおりに育った、あるいは、自分自身が親の望んだとおりの人間になったという人は世の中にどのくらいいるのでしょうか?
多くの人がこのような経験をしているのだから、子供が犯罪者になった場合の親の責任については、「親は子育てを通して、子供の人格形成に最も影響を及ぼすポジションにいたこと自体は事実なのだから、もし、子供が犯罪を犯せば、何の責任もないということもないが、また一方で、子供は親の望んだとおりには育たないことも事実なので、成人した子供が犯罪を犯した場合に、多少の批判は受けることがあるとしても責任ある現在の仕事を辞めるほどの責任を負う必要もない」というあたりが妥当な線のようにも思われますが、いかがでしょうか?
ただし、世論形成の中心となるマスコミは、「著名人や社会的地位の高い人の問題を見つけて、叩けば視聴率(売上げ)が伸びる」という構図のなかにいるので、人を叩く口実が減ることには消極的で、このような考えは受け入れないように思われます。
また、ネットも匿名アカウントで他人を批判することに快楽を感じる人の集合体という側面があるので(スマイリーキクチさんの例もある)、「人を叩かないようにする」という方向に意見が集約することも期待薄です。
今回の事件の父親は、自分がマスコミという「叩く側」にいて、その人間が「叩かれる側」に落ちるとフルボッコになることが分かっていたので、さっさとその地位から去ったようにも思われます。
犯罪者の親の責任について、あるべきところに意見を集約させる解決策として思いつくのは、多くの人が意見を発信してもらって、「意見を言いたい極端な考えの持ち主の意見」を薄めて、常識的なところに意見を集約させていくということを積み重ねていけば、「あるべき責任の取り方」の考え方が収斂していくのではないかと期待しています。
◆私の考える親の責任の取り方
私としては、「仕事は辞めなくていいから、語ってほしい」。どのように子供と接してきたのか、何か異変を感じる兆候はなかったのか、異変を感じたときどのように対応して誰に相談したのか、等々。一つ一つの事例は個別事情でも、集約していくと何か傾向が見えてくるかもしれないし、これから子育てをする人のヒントになるかもしれません。
また、今回の犯人が「心を患っていた」ということであれば、社会からのサポートという観点で何ができるのかの議論のきっかけになることも期待できると考えています。
井上 孝之
プロフィール
「子供の遺伝子の半分は自分と同じなのだから、子供はある程度は自分に似る」という思い込みが完全に間違いであったことにようやく気が付いた技術系サラリーマン
2019年6月18日火曜日
年金問題/スマホの料金体系とNHKの経営問題との共通点
私は4人家族(妻と二人の息子)で、私、妻、二男の3人は格安スマホの3人分パックを使っていて、利用料金は3人分で月に5000円(スマホ本体代金は含まない)です。これに対して、長男はi-Phoneが欲しいと言い張ったので、一人だけ大手キャリアで利用料金は一人で7000円(スマホ本体代金も含む)ぐらいです。
私は物好きなので、2年おきにキャリアを乗り換えの手続き(窓口で2時間ぐらい拘束されて長い説明を聞かされる)も苦にならず、乗換のたびに最新のi-Phoneを手に入れています。契約時に強制的に加入させられるオプションもきっちりと解除しているし、2年後の契約変更のタイミングもしっかりとメモしていますが、このような対応をやる人は世の中にはそうはいないと思います。
このような経験をもとに、「大手通信キャリアはなぜ高収益なのか?」という問いの答えを私なりに出すとすれば、「スマホのような生活必需品の料金体系を複雑にすれば、多くの消費者は思考停止に陥って、不満を抱えていても、高い料金を支払い続けているから」ということになります。
(これから制度変更が行われて、この方法は続けられないかもしれませんが・・・)
このことは年金制度でも同じことが言えると思います。つまり、「制度を複雑にすれば、多くの人は思考停止に陥る」ということです。
そして、このことは多くの人にとって都合がいいということになります。
1.官僚にとって
制度を正しく理解して批判してくる人は少ないので、見当違いな論点で批判してくる人がいても、「制度を正しく理解してから、批判してください」と言えば、批判をかわすことができます。
2.与党政治家にとって
支持者に「真面目に誠実に説明させていただきます」と言って、誠心誠意、難しいことを分かりやすく説明するふりをすれば、たとえ中身が理解されなくても、「よく分からないけど、できる範囲ことはやってくれている」というプラスの印象を与えることができます。
また、制度が分かりにくいということは、誰にとって損なのかがはっきり分からないので、誰からも好かれたい政治家にとっては好都合です。
3.野党政治家にとって
最初っから政権を取るつもりはないので、ピント外れなことを主張しても問題ありません。とにかく頭の悪い有権者を焚き付けて騒動を起こせば、「与党と闘っている」というスタンスをアピールすることができて、与党に投票するつもりがない人の票を固めることができます。
4.マスコミにとって
年金の問題が浮上するたびに、「政府が分かりやすく説明しないから多くの生活者は不安に陥っているのだ」と批判することができます。
また、池上彰さんのような詳しく解説する系の人は半年おきに年金の特集をやっても視聴率が取れます。ほとんどの人は半年前の年金の説明なんか覚えていないからです。
5.自営業者にとって
サラリーマンが支払った保険料を自分たちの年金として受け取ることができます。
6.サラリーマンにとって
本当は一番のカモにされているわけですが、牙を抜かれて戦う気力もありません。そもそも給料天引き分は最初から無かった金だと思っているので、気が付かないうちに給料天引き分が増えていたとしても、腹も立ちません。
「怒れよ、サラリーマン! こんな不理不尽な制度を許していいものか!」と立ち上がったところで、「お前ひとりで頑張れ。しょうもない運動に巻き込むな」と言われるのが関の山です。戦っても勝てない戦いに参加するぐらいなら、「給料天引き分のお金はもともと無かった」と思い込んで、気が付かないふりをした方がマシです。
ちなみに、私もサラリーマンの端くれですが、私にできる最大限の抵抗はアゴラに自分の意見を投稿することと、ふるさと納税を最大限に使うことぐらいです。
7.若者にとって
国民年金保険料を支払わないことが合理的な選択かどうかはともかく、今月の16,410円を支払わない自分を納得させるためには、「どうせ自分が受け取るころには年金は破綻している」という都市伝説を信じていられることが必要です。もし、はっきりと「支払わなければ損」ということが分かってしまうと、強い罪悪感を感じながら生きなければなりません。
8.年金を研究する研究者にとって
研究者にとっての最大の恐怖は問題が解決されえしまうことですが、年金の問題は永遠に解決されないので、年金の研究者として一生食っていけます。
一見すると理不尽に見える仕組みですが、その仕組みがずっと続いているのは、池田信夫さんがNHKの経営問題で指摘したことと同じで、「分解してみると、その仕組みの方が関係者全員にとって得だから」ということになります。
結局、全員にとって都合がいいので、将来に亘って何も変わらないということになります。
もし、変わるタイミングが来るとすると、カモにされているサラリーマンが我慢の限界に達して、「怒れよ、サラリーマン」という呼びかけに応える日ということになると思われますが、そもそもカモにされていることに気が付いていないのだから、その日は相当先に先になると思われます。
井上 孝之
プロフィール
いくらサラリーマンがカモにされているからといって、独立して自営業者になる勇気のない技術系サラリーマン。内藤忍さんや城繁幸さんがうらやましい。
私は物好きなので、2年おきにキャリアを乗り換えの手続き(窓口で2時間ぐらい拘束されて長い説明を聞かされる)も苦にならず、乗換のたびに最新のi-Phoneを手に入れています。契約時に強制的に加入させられるオプションもきっちりと解除しているし、2年後の契約変更のタイミングもしっかりとメモしていますが、このような対応をやる人は世の中にはそうはいないと思います。
このような経験をもとに、「大手通信キャリアはなぜ高収益なのか?」という問いの答えを私なりに出すとすれば、「スマホのような生活必需品の料金体系を複雑にすれば、多くの消費者は思考停止に陥って、不満を抱えていても、高い料金を支払い続けているから」ということになります。
(これから制度変更が行われて、この方法は続けられないかもしれませんが・・・)
このことは年金制度でも同じことが言えると思います。つまり、「制度を複雑にすれば、多くの人は思考停止に陥る」ということです。
そして、このことは多くの人にとって都合がいいということになります。
1.官僚にとって
制度を正しく理解して批判してくる人は少ないので、見当違いな論点で批判してくる人がいても、「制度を正しく理解してから、批判してください」と言えば、批判をかわすことができます。
2.与党政治家にとって
支持者に「真面目に誠実に説明させていただきます」と言って、誠心誠意、難しいことを分かりやすく説明するふりをすれば、たとえ中身が理解されなくても、「よく分からないけど、できる範囲ことはやってくれている」というプラスの印象を与えることができます。
また、制度が分かりにくいということは、誰にとって損なのかがはっきり分からないので、誰からも好かれたい政治家にとっては好都合です。
3.野党政治家にとって
最初っから政権を取るつもりはないので、ピント外れなことを主張しても問題ありません。とにかく頭の悪い有権者を焚き付けて騒動を起こせば、「与党と闘っている」というスタンスをアピールすることができて、与党に投票するつもりがない人の票を固めることができます。
4.マスコミにとって
年金の問題が浮上するたびに、「政府が分かりやすく説明しないから多くの生活者は不安に陥っているのだ」と批判することができます。
また、池上彰さんのような詳しく解説する系の人は半年おきに年金の特集をやっても視聴率が取れます。ほとんどの人は半年前の年金の説明なんか覚えていないからです。
5.自営業者にとって
サラリーマンが支払った保険料を自分たちの年金として受け取ることができます。
6.サラリーマンにとって
本当は一番のカモにされているわけですが、牙を抜かれて戦う気力もありません。そもそも給料天引き分は最初から無かった金だと思っているので、気が付かないうちに給料天引き分が増えていたとしても、腹も立ちません。
「怒れよ、サラリーマン! こんな不理不尽な制度を許していいものか!」と立ち上がったところで、「お前ひとりで頑張れ。しょうもない運動に巻き込むな」と言われるのが関の山です。戦っても勝てない戦いに参加するぐらいなら、「給料天引き分のお金はもともと無かった」と思い込んで、気が付かないふりをした方がマシです。
ちなみに、私もサラリーマンの端くれですが、私にできる最大限の抵抗はアゴラに自分の意見を投稿することと、ふるさと納税を最大限に使うことぐらいです。
7.若者にとって
国民年金保険料を支払わないことが合理的な選択かどうかはともかく、今月の16,410円を支払わない自分を納得させるためには、「どうせ自分が受け取るころには年金は破綻している」という都市伝説を信じていられることが必要です。もし、はっきりと「支払わなければ損」ということが分かってしまうと、強い罪悪感を感じながら生きなければなりません。
8.年金を研究する研究者にとって
研究者にとっての最大の恐怖は問題が解決されえしまうことですが、年金の問題は永遠に解決されないので、年金の研究者として一生食っていけます。
一見すると理不尽に見える仕組みですが、その仕組みがずっと続いているのは、池田信夫さんがNHKの経営問題で指摘したことと同じで、「分解してみると、その仕組みの方が関係者全員にとって得だから」ということになります。
結局、全員にとって都合がいいので、将来に亘って何も変わらないということになります。
もし、変わるタイミングが来るとすると、カモにされているサラリーマンが我慢の限界に達して、「怒れよ、サラリーマン」という呼びかけに応える日ということになると思われますが、そもそもカモにされていることに気が付いていないのだから、その日は相当先に先になると思われます。
井上 孝之
プロフィール
いくらサラリーマンがカモにされているからといって、独立して自営業者になる勇気のない技術系サラリーマン。内藤忍さんや城繁幸さんがうらやましい。
2019年5月29日水曜日
終身雇用は続く、少なくとも私の場合は・・・
城繁幸さんが元気である。それは経団連会長で日立会長の中西氏に続いてトヨタの豊田社長も城氏の持論である終身雇用の終わりを示唆して、さらにそれに続く会社も出てきているからです。
しかし、日本の大手企業に勤める私は終身雇用&年功序列賃金の中にどっぷりと浸っていて、現状の最も確率の高い予測では定年まで終身雇用のまま逃げ切れそうです(現時点の需要予測では、あと10年ぐらいは食いつなげる仕事はありそうです)。この違いは何から生じるのでしょうか?
私はバブル絶頂期にその業界ではトップクラスにカウントされる技術系企業に就職しました。その当時、繁忙を極めた私の業界では、「人間ならだれでもいい」という感じで人をかき集めていて、私もそのようにしてかき集められたうちの一人です。
私の会社はバブルが崩壊した後は人を取らなくなったので、バブル期に大量採用された人たちで構成される会社内における団塊の世代の一員となりました。
意識高い系の私は以前から城繁幸さんのブログはよく読んでいましたし、どうみても社内のいびつな年齢構成を見れば、「自分は50代になれば、肩たたきに遭うし、もしかしたら追い出し部屋に配属させられるかもしれない」と思って生きてきましたが、実際に50代になってみるとそのようにはなりませんでした。なぜでしょうか?
それは人手不足の波の方が先に来てしまったからです。
私の会社では、下手に人材を切ってしまうと、必要な時に人を採用することができなくなってしまったので、今いる人材を活用して生き延びるという方針しかなくなってしまいました。
私が思うに、終身雇用を終わらせたい会社は、収益力が低くて雇用を維持できない「底辺系」と、不要な人材を切っても必要な時に必要な人材をヘッドハンティングできる「トップ系」、人手が必要なときとそうでないときの差が激しい「荒波系」だけで、私の会社のような「細く長く仕事がある系&若者に人気がない系」では、今いる社員に「ずっといてください」というよりほかないように思います。私の会社に「ずっといていい」ということ以外に魅力があるとは思えません。
漏れ聞こえてくるところによれば、私の会社では「10年後にバブル入社組が大量定年するときに備えて、人材が足りなくなることに対してどのように対応するのか」を検討する極秘プロジェクトが発足して、月に一回、本社に関係者が集まってヒソヒソやっているようです。肩たたきを恐れていたのに、気が付けば「いなくなったときに備えて対策を講じる必要のある」貴重な人材になっていました。
出身大学のリクルーターをやっている同僚によると、「10年後に備えて、採用枠を広げようとしても、拡大枠で採用する人のSPIテストの点数はガクンと落ちるので採用基準に達しない。優秀な人だけを採用して、あとは今いる社員を有効活用するという方針にならざるを得ない」と言っておりました。少子化で「若者が減る」ということは、「優秀な若者が減る」ということなので、「地頭的にはイマイチでも経験を積んだ高齢者をどのように有効活用していくのか」が企業戦略上、重要な課題になっています。
ちなみに、「お荷物」と思われているバブル入社組ではありますが、以下のような長所はあると思っています。
①フィルターは通っている
本当に無能な奴は僻地か閑職に飛ばされています。また、普通の社員も仕事を割り当たられるときは、得意不得意を完全に把握されたうえで割り当てられるので、仕事をやらせてみて「ハズレ」になることはほとんどありません。
②効率的である
ずっと前から同じメンバーで仕事をしているので、誰に何を頼めば、いつ頃、どのくらいのクオリティのリターンがあるかを把握しながら仕事をしています。それに、「何年か前にやったあんな感じ」みたいな説明で話が通じます。その代わり、新しいメンバーによってもたらされる新たな発想というものはありません。
③手が動く
昔、私が入社した頃にはまだいた「部下に仕事を命じることはできるけど、自分で手を動かすことはできない人」というのはいません。なぜなら、みんな、今でも「若手(雑用をやらせる人という意味)」扱いだからです。
④問題可決能力が高い
どこの部署にも同年代の社員がいて、困ったときに相談できる人が多くいるので、問題が起こったときの解決能力は意外と高いです。地頭のいい若い社員が「誰に聞いていいか分かりません」と言ってくると、「仕方がねーなー、俺が代わりに聞いてやるよ」と言って優位性を示すことができます。
◆ニッチな専門分野の技術者の処遇
あと、本稿では論じることができませんでしたが、ニッチな分野を専門とする技術者の処遇については、よく考える必要があると思っています。彼らには「その仕事でずっと雇用を続けること」を保証しなければ、怖くてニッチな分野の専門家になろうとは思いません。「一つの技術分野を極めれば、(その技術分野を極めるために習得した知見が他の分野でも役立つので)他の分野でも活躍できるようになる」ということをいう人もいますが、そうならなかった人を私は大勢見てきています。日本が技術大国の一角として居続けることができているのは、「終身雇用を保証しているから」だと思っています。
トヨタ自動車でギアの摩擦を減らすような地味な研究をしている人は、将来、「電気自動車の時代にギアは必要ない」と言われて会社を放り出されることを分かっていても、ギアの摩擦を減らす研究に専念し続けることができるのでしょうか? 社長は「あなたの雇用を保証したくない」と言っていますよ。(自動車は専門ではないので、いい例えになっているかどうかは分かりません・・・)
最後に・・・
先日、職場で新入社員にどのような経験をさせていくかということで議論しました。50代の人たちが「俺の場合はああだった、こうだった」と言いながら、「20代には***を経験させて、30代には※※※させて、・・・」みたいな話で盛り上がったわけですが、誰も「終身雇用の時代じゃないんだから、彼らがずっと会社にいる保証はない」という趣旨の発言をした人は誰もいませんでした。みんな彼らがずっと会社に居続けると信じています・・・。
井上 孝之
プロフィール
私の会社の社風は「ぬるい」で、このまま熱水も冷水も浴びることなくサラリーマン人生をフィニッシュできるかどうかが最大関心事の技術系サラリーマン
しかし、日本の大手企業に勤める私は終身雇用&年功序列賃金の中にどっぷりと浸っていて、現状の最も確率の高い予測では定年まで終身雇用のまま逃げ切れそうです(現時点の需要予測では、あと10年ぐらいは食いつなげる仕事はありそうです)。この違いは何から生じるのでしょうか?
私はバブル絶頂期にその業界ではトップクラスにカウントされる技術系企業に就職しました。その当時、繁忙を極めた私の業界では、「人間ならだれでもいい」という感じで人をかき集めていて、私もそのようにしてかき集められたうちの一人です。
私の会社はバブルが崩壊した後は人を取らなくなったので、バブル期に大量採用された人たちで構成される会社内における団塊の世代の一員となりました。
意識高い系の私は以前から城繁幸さんのブログはよく読んでいましたし、どうみても社内のいびつな年齢構成を見れば、「自分は50代になれば、肩たたきに遭うし、もしかしたら追い出し部屋に配属させられるかもしれない」と思って生きてきましたが、実際に50代になってみるとそのようにはなりませんでした。なぜでしょうか?
それは人手不足の波の方が先に来てしまったからです。
私の会社では、下手に人材を切ってしまうと、必要な時に人を採用することができなくなってしまったので、今いる人材を活用して生き延びるという方針しかなくなってしまいました。
私が思うに、終身雇用を終わらせたい会社は、収益力が低くて雇用を維持できない「底辺系」と、不要な人材を切っても必要な時に必要な人材をヘッドハンティングできる「トップ系」、人手が必要なときとそうでないときの差が激しい「荒波系」だけで、私の会社のような「細く長く仕事がある系&若者に人気がない系」では、今いる社員に「ずっといてください」というよりほかないように思います。私の会社に「ずっといていい」ということ以外に魅力があるとは思えません。
漏れ聞こえてくるところによれば、私の会社では「10年後にバブル入社組が大量定年するときに備えて、人材が足りなくなることに対してどのように対応するのか」を検討する極秘プロジェクトが発足して、月に一回、本社に関係者が集まってヒソヒソやっているようです。肩たたきを恐れていたのに、気が付けば「いなくなったときに備えて対策を講じる必要のある」貴重な人材になっていました。
出身大学のリクルーターをやっている同僚によると、「10年後に備えて、採用枠を広げようとしても、拡大枠で採用する人のSPIテストの点数はガクンと落ちるので採用基準に達しない。優秀な人だけを採用して、あとは今いる社員を有効活用するという方針にならざるを得ない」と言っておりました。少子化で「若者が減る」ということは、「優秀な若者が減る」ということなので、「地頭的にはイマイチでも経験を積んだ高齢者をどのように有効活用していくのか」が企業戦略上、重要な課題になっています。
ちなみに、「お荷物」と思われているバブル入社組ではありますが、以下のような長所はあると思っています。
①フィルターは通っている
本当に無能な奴は僻地か閑職に飛ばされています。また、普通の社員も仕事を割り当たられるときは、得意不得意を完全に把握されたうえで割り当てられるので、仕事をやらせてみて「ハズレ」になることはほとんどありません。
②効率的である
ずっと前から同じメンバーで仕事をしているので、誰に何を頼めば、いつ頃、どのくらいのクオリティのリターンがあるかを把握しながら仕事をしています。それに、「何年か前にやったあんな感じ」みたいな説明で話が通じます。その代わり、新しいメンバーによってもたらされる新たな発想というものはありません。
③手が動く
昔、私が入社した頃にはまだいた「部下に仕事を命じることはできるけど、自分で手を動かすことはできない人」というのはいません。なぜなら、みんな、今でも「若手(雑用をやらせる人という意味)」扱いだからです。
④問題可決能力が高い
どこの部署にも同年代の社員がいて、困ったときに相談できる人が多くいるので、問題が起こったときの解決能力は意外と高いです。地頭のいい若い社員が「誰に聞いていいか分かりません」と言ってくると、「仕方がねーなー、俺が代わりに聞いてやるよ」と言って優位性を示すことができます。
◆ニッチな専門分野の技術者の処遇
あと、本稿では論じることができませんでしたが、ニッチな分野を専門とする技術者の処遇については、よく考える必要があると思っています。彼らには「その仕事でずっと雇用を続けること」を保証しなければ、怖くてニッチな分野の専門家になろうとは思いません。「一つの技術分野を極めれば、(その技術分野を極めるために習得した知見が他の分野でも役立つので)他の分野でも活躍できるようになる」ということをいう人もいますが、そうならなかった人を私は大勢見てきています。日本が技術大国の一角として居続けることができているのは、「終身雇用を保証しているから」だと思っています。
トヨタ自動車でギアの摩擦を減らすような地味な研究をしている人は、将来、「電気自動車の時代にギアは必要ない」と言われて会社を放り出されることを分かっていても、ギアの摩擦を減らす研究に専念し続けることができるのでしょうか? 社長は「あなたの雇用を保証したくない」と言っていますよ。(自動車は専門ではないので、いい例えになっているかどうかは分かりません・・・)
最後に・・・
先日、職場で新入社員にどのような経験をさせていくかということで議論しました。50代の人たちが「俺の場合はああだった、こうだった」と言いながら、「20代には***を経験させて、30代には※※※させて、・・・」みたいな話で盛り上がったわけですが、誰も「終身雇用の時代じゃないんだから、彼らがずっと会社にいる保証はない」という趣旨の発言をした人は誰もいませんでした。みんな彼らがずっと会社に居続けると信じています・・・。
井上 孝之
プロフィール
私の会社の社風は「ぬるい」で、このまま熱水も冷水も浴びることなくサラリーマン人生をフィニッシュできるかどうかが最大関心事の技術系サラリーマン
消費増税/国民が判断するために必要な情報について報道を望む
消費税の増税についての投稿が低調とのことなので、思うところを記して投稿します。
私の不満のポイントは「消費税が増税されて、レジで支払う金額が増えて大変だ~」という安直なスタンスの報道番組が多いことです。これでは私の知りたい情報は得られません。
単純に「消費税の増税に賛成か?」と問われれば、レジであと2%余分に払いたい人はいないので、全員が反対のはずです。ここで有権者として考えるべきポイントは「レジであと2%余分に払うこと(その結果として起こる景気の停滞も含む)」と「別のところで起こる別の問題」のどちらが痛みが小さいのかという比較の問題であると思っているのですが、そのような観点の報道はほとんどありません。
たぶん、テレビ局が視聴者の知的水準を考えればそのような観点で番組を作っても視聴率は取れないと考えているのかもしれませんが、果たして本当にそうでしょうか? 有権者は自分の将来がかかった問題としてバランスの取れた報道に飢えているように思います(少なくとも私はそう思っています)。それともテレビ局の記者の知的水準が劣化してそのような企画を思いつかないのでしょうか?
さて、私は経済についても財政についても大した知識があるわけではありませんが、「別のところで起こる別の問題」として下記のようなことが思いつきます。
①給料から天引きされる金額が増える
消費税を増やせないので、我々サラリーマンの給料から天引きされる社会保障費がこっそりと増やされています。ちなみに、私は今となっては絶滅危惧種となった年功序列賃金をもらっている人間なのですが、毎年、給料が少しずつ増えても、天引きされる金額が増えて相殺されるので、手取り額はほとんど増えない(というか、むしろ減っている)という状況が続いています。
多分、給与から天引きされない人たちの分の社会保障費もサラリーマンが負担させられているので、サラリーマンにとっては、「消費税を増税して、社会全体で負担させた方が得」だと思われるのですが、サラリーマンからそのような声は出ません(テレビ局の職員もサラリーマンのはずですが・・・)。私のような年功序列賃金でない人たちは、目に見えて手取り額が減っているように思われますが、彼らが声を上げない理由は何なのでしょうか? 彼らは給料から天引きされている社会保障費が増えていることに気付かないのでしょうか? サラリーマンの私にとってはこれぞまさしく「真に恐ろしい敵は有能な敵ではなく、無能な味方」状態です。「気づけよ、サラリーマン! サラリーマンにとっては消費税が増税された方が得なのだ」と叫びたくなります。
サラリーマンは本当に「たとえ、給料から天引きされる社会保障費が増えても、店頭で払う消費税は増やしたくない」と考えているのでしょうか? 「社会保障費を給料の天引きで支払うのか、消費するときに店頭で支払うのか」、あるいは、「社会保障費をサラリーマンに重点的に負担させるのか、社会全体で広く負担するのか」は国民にとって重要な判断事項ですが、その判断に必要な情報を提供しない報道番組はその社会的な役割を果たしていないと考えています。
②財政破綻が起こる
ずっと前から「政府債務が増えれば、財政破綻が起こる」と言われていますが、財政破綻が起こる兆候は全くありません。20年後も30年後も政府債務が増えながらも財政破綻は起こらないまま時間が過ぎていくのではないかとすら思えてしまいます。
ここで、有権者にとっては、「財政破綻にリスクを犯して消費税率を低めに抑えるのか」と「景気低迷のリスクが増えても財政破綻のリスクを小さくするのか」という選択をしなければならないのですが、それを判断するための情報提供はありません。
この議論が深まらないのは、経済学者が政府債務の限界額や財政破綻が起こらない条件を見極められていないことが大きいと思われます。また、財政破綻が起こったときにどのくらいの痛みがあるのかもよく分かりません。議論をするために必要な知見が整理されていないのでは、議論のしようがありません。経済学者はせめて有権者が選挙で判断するために必要な知見の整理ぐらいはすべきと考えますがいかがでしょうか? この「最低限の知見の整理すらない状態」が「消費増税なんかしなくても(あるいは、消費税を減税しても)、問題ない」というような暴論を根拠もなく語るコメンテーターがテレビに出続けている理由だともいます。
現状は「(政府債務を増大させるという)悪いことをしているはずだがなぜか問題は起こらない」という状態ですが、「問題が起こらないのだから悪いことを続けてもいい(あるいは、問題が起こらないのは政府債務を増大させることは悪いことではないからだ)」と考えるのか、「悪いと思われることはできる限りやらない方向で努力する」と考えるのかの日本国民の選択が問われていると考えています。
③軽減税率の仕組みが定着してしまう
10月に消費増税が実施されれば、それに伴って現状の消費増税に組み込まれている軽減税率も実施されて、日本の制度として定着してしまいます。
この軽減税率を「バカを納得させるためには必要な仕組み」と割り切るのか、「問題が大きいから、一度リセットして考え直すべき」を判断する最後のチャンスなのですが、その判断に必要な情報を提供する報道もありません。テレビ局が「軽減税率で利益を受ける新聞社の参加だから」ということもあるかもしれませんが、責任ある報道を求めたいと考えています。
最後に 消費税増税の延期論者への質問
テレビで「消費増税なんかしなくても(あるいは、消費税を減税しても)、問題ない」と言っているコメンテーターは、私の眼には「耳触りのいいことを言っておいて、問題が起こっても責任を取らない無責任な奴ら」にしか映らないのですが、彼らは視聴者に耳触りのいいことを言うので重宝されています。
どなたか、彼らに次の問いを聞いてもらえないでしょうか? これら問いに明確に答えられなければ、彼らはただの詐欺師だと考えています。
井上 孝之
プロフィール
最近、10年以上前の給与明細を見つけて、税金も社会保障費も今より格段に少なかった(その当時は景気浮揚策としていろいろな減税処置があった)ことを気づいて愕然としている技術系サラリーマン
私の不満のポイントは「消費税が増税されて、レジで支払う金額が増えて大変だ~」という安直なスタンスの報道番組が多いことです。これでは私の知りたい情報は得られません。
単純に「消費税の増税に賛成か?」と問われれば、レジであと2%余分に払いたい人はいないので、全員が反対のはずです。ここで有権者として考えるべきポイントは「レジであと2%余分に払うこと(その結果として起こる景気の停滞も含む)」と「別のところで起こる別の問題」のどちらが痛みが小さいのかという比較の問題であると思っているのですが、そのような観点の報道はほとんどありません。
たぶん、テレビ局が視聴者の知的水準を考えればそのような観点で番組を作っても視聴率は取れないと考えているのかもしれませんが、果たして本当にそうでしょうか? 有権者は自分の将来がかかった問題としてバランスの取れた報道に飢えているように思います(少なくとも私はそう思っています)。それともテレビ局の記者の知的水準が劣化してそのような企画を思いつかないのでしょうか?
さて、私は経済についても財政についても大した知識があるわけではありませんが、「別のところで起こる別の問題」として下記のようなことが思いつきます。
①給料から天引きされる金額が増える
消費税を増やせないので、我々サラリーマンの給料から天引きされる社会保障費がこっそりと増やされています。ちなみに、私は今となっては絶滅危惧種となった年功序列賃金をもらっている人間なのですが、毎年、給料が少しずつ増えても、天引きされる金額が増えて相殺されるので、手取り額はほとんど増えない(というか、むしろ減っている)という状況が続いています。
多分、給与から天引きされない人たちの分の社会保障費もサラリーマンが負担させられているので、サラリーマンにとっては、「消費税を増税して、社会全体で負担させた方が得」だと思われるのですが、サラリーマンからそのような声は出ません(テレビ局の職員もサラリーマンのはずですが・・・)。私のような年功序列賃金でない人たちは、目に見えて手取り額が減っているように思われますが、彼らが声を上げない理由は何なのでしょうか? 彼らは給料から天引きされている社会保障費が増えていることに気付かないのでしょうか? サラリーマンの私にとってはこれぞまさしく「真に恐ろしい敵は有能な敵ではなく、無能な味方」状態です。「気づけよ、サラリーマン! サラリーマンにとっては消費税が増税された方が得なのだ」と叫びたくなります。
サラリーマンは本当に「たとえ、給料から天引きされる社会保障費が増えても、店頭で払う消費税は増やしたくない」と考えているのでしょうか? 「社会保障費を給料の天引きで支払うのか、消費するときに店頭で支払うのか」、あるいは、「社会保障費をサラリーマンに重点的に負担させるのか、社会全体で広く負担するのか」は国民にとって重要な判断事項ですが、その判断に必要な情報を提供しない報道番組はその社会的な役割を果たしていないと考えています。
②財政破綻が起こる
ずっと前から「政府債務が増えれば、財政破綻が起こる」と言われていますが、財政破綻が起こる兆候は全くありません。20年後も30年後も政府債務が増えながらも財政破綻は起こらないまま時間が過ぎていくのではないかとすら思えてしまいます。
ここで、有権者にとっては、「財政破綻にリスクを犯して消費税率を低めに抑えるのか」と「景気低迷のリスクが増えても財政破綻のリスクを小さくするのか」という選択をしなければならないのですが、それを判断するための情報提供はありません。
この議論が深まらないのは、経済学者が政府債務の限界額や財政破綻が起こらない条件を見極められていないことが大きいと思われます。また、財政破綻が起こったときにどのくらいの痛みがあるのかもよく分かりません。議論をするために必要な知見が整理されていないのでは、議論のしようがありません。経済学者はせめて有権者が選挙で判断するために必要な知見の整理ぐらいはすべきと考えますがいかがでしょうか? この「最低限の知見の整理すらない状態」が「消費増税なんかしなくても(あるいは、消費税を減税しても)、問題ない」というような暴論を根拠もなく語るコメンテーターがテレビに出続けている理由だともいます。
現状は「(政府債務を増大させるという)悪いことをしているはずだがなぜか問題は起こらない」という状態ですが、「問題が起こらないのだから悪いことを続けてもいい(あるいは、問題が起こらないのは政府債務を増大させることは悪いことではないからだ)」と考えるのか、「悪いと思われることはできる限りやらない方向で努力する」と考えるのかの日本国民の選択が問われていると考えています。
③軽減税率の仕組みが定着してしまう
10月に消費増税が実施されれば、それに伴って現状の消費増税に組み込まれている軽減税率も実施されて、日本の制度として定着してしまいます。
この軽減税率を「バカを納得させるためには必要な仕組み」と割り切るのか、「問題が大きいから、一度リセットして考え直すべき」を判断する最後のチャンスなのですが、その判断に必要な情報を提供する報道もありません。テレビ局が「軽減税率で利益を受ける新聞社の参加だから」ということもあるかもしれませんが、責任ある報道を求めたいと考えています。
最後に 消費税増税の延期論者への質問
テレビで「消費増税なんかしなくても(あるいは、消費税を減税しても)、問題ない」と言っているコメンテーターは、私の眼には「耳触りのいいことを言っておいて、問題が起こっても責任を取らない無責任な奴ら」にしか映らないのですが、彼らは視聴者に耳触りのいいことを言うので重宝されています。
どなたか、彼らに次の問いを聞いてもらえないでしょうか? これら問いに明確に答えられなければ、彼らはただの詐欺師だと考えています。
- 現状の日本における最適消費税率とは何%か?
- どこまで財政赤字を増やしても許容されるのか?
- 将来、消費税を増やすことに切り替える場合、そのきっかけとなる出来事(あるいは指標)とは何か?
- その根拠となる経済理論は何か?
井上 孝之
プロフィール
最近、10年以上前の給与明細を見つけて、税金も社会保障費も今より格段に少なかった(その当時は景気浮揚策としていろいろな減税処置があった)ことを気づいて愕然としている技術系サラリーマン
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